Seminar Paper 99

Shinya Suzuki

First Created on December 31, 1999
Last revised on January 17, 2000

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Adventures of Huckleberry Finnの自然観・人間観」
「文明社会」への疑問

この物語は、単に子供の冒険物語と言うよりも、Huckという子供の体験を通して、「文明社会」への疑問を表したものだと思う。まず、そのことを気づかせるものに "sivilize" という単語を挙げる事ができる。もちろん正しいつづりは、 "civilize" である。この物語は、口語調で書かれている。例えば、"ain't"の使用や、 "knowed" である。それは、この物語の文語体からの離脱、さらにはヨーロッパ文学からの独立と言う面で功績ともいわれる。では、この "sivilize" は、発音を忠実に表したつづりなのか。それは違うと思われる。"sivilize"が書かれている同じ文中に、 "decent" と言う単語がある。

"The widow Douglas, she took me for her son, and allowed she would sivilize me; but it was rough living in the house all the time, considering how dismal regular and decent the widow was in all her ways;…" (Mark Twain Adventures of Huckleberry Finn (A Norton Critical Edition)p.13以下本書からの引用はページ数のみを記す)
ここでは、"desent"でなく "decent"であることは、"sivilize"をTwainは、このつづりを故意にこのような形で書いたものと思われる。では、なぜこのように "sivilize"と表記したのか。それは、何らかのメッセージを込めたかったからではないか、と私は考える。つまりTwainは、この本の中で、「文明社会」、言い換えれば、 "sivilize"された社会に疑問を持っていたのではないかと思われる。そのため、読者に訴えるために "s" の "sivilize"を書いたのだと思われる。

さらに、この本の冒頭でHuckは、Widow Douglas との生活に嫌気をさし、逃げ出してしまう。しかし、親友のTom Sawyerの言葉により、またWidow Douglasとの生活に戻るのが、この物語の最後で彼は、もし、aunt Sallyが Huckを養子にして、 "sivilize"したら、逃げ出す事を言っている。 "But I reckon I got to light out for the Territory ahead of the rest, because aunt Sally she's going to adapt me and sivilize me and I can't stand it. I been there before." (P.296) つまり、一度Tomの言葉により自然な生活から、「文明社会」に戻ったが、Jimと川を下り、さまざまな事を体験した結果、「文明社会」と言うものに嫌気がさし、また「文明社会」式に躾られるとしたら、彼はインディアンのテリトリー−自然な生活−に逃げると言っているのであろう。この本は、「文明社会」と言うものになんとか慣れようとしたHuckが、やはりそれには、なじめず、疑問を感じていると言う物語ともいえるのではないか。 それでは、この物語の中にTwainはどのようなメッセージを込め、何を訴えたかったのだろうか?まず、JimとHuckがジャクソン島で会うところまでを分析してみたいと思う。

まず、Huckは、養子として迎えられたWidow Douglasと非常に躾にうるさいMiss Watsonとの生活の中で、にHuckは、それに窮屈さを見出す。それは、食事の時間にはきちんとテーブルにつかなければならず、食事の出されかたはきちんと別々に料理してあり、食べる前には神に祈る、と言う事である。

The widow rung a bell for supper, and you had to come to time. When you got to the table you couldn't go right to eating, but you had to wait for the widow to tuck down her head and grumble b a little over the victuals, though there warn't really anything the matter with them. That is, nothing only everything was cooked by itself. " (P.14)
あるいは、Miss Watsonからは、「足をそんなところにのせてはいけない、貧乏揺すりをするな、真っ直ぐ座れ、そんなふうに欠伸をするな、伸びをするな、もっと、行儀よくしなさい」といわれる事である。

Miss Watson would say, "Don't put your feet up there, Huckleberry;" and "don't scrunch up like that, Huckleberry - set up straight;" and pretty soon she would say, "Don't gap and stretch like that, Huckleberry - why don't you try to behave?" (P.15)
このような、ピューリタン的とまでは行かないが、東部貴族的な生活にHuckは窮屈さを覚えている。なぜ、そのようにしなければならない生活から、逃げ出したいと思っている。 "All I wanted was to go somewheres; all I wanted was a change, I warn't particular." (P.15) いわば、これらは、この文明社会の生活の規則と言えるがHuckは、そのことに不要を感じその形骸化した規則のおかしさを我々に訴えかけているのではなかろうか。

このような生活の中で彼のあこがれるものは、友人のTom Sawyerである。彼はいたずらっ子で、遊び仲間の中でリーダーの存在である。彼は教育と言うものにより、様々な知識を持っているがその知識の使い方を間違って使っている。2章で彼は、遊び仲間とHuckで盗賊団を作り、盗賊団の規則を作るが、その基となるのは本からのもので、本に書かれていないものを受け付けない。 "No- nobody ever saw anything in the books like that." (P.22) このことを拡大して考えれば、本から得た知識だけに依存することの愚かさを表しているのではなかろうか。
しかし、人間と言うものは、順応性の強い生き物と言うべきであろうか、Huckは当初、逃げたい逃げたいと思っていた生活も、しばらくするうちに慣れるものである。そして、知識偏重のTomを作ったとも言うべき学校をHuckは嫌っていたがそれも慣れてきしてしまう。 "At first I hated the school, but by and by I got so I could stand it… I liked the old ways best, but I was getting so I liked the new ones too, a little bit." (p.27) 人間の信念の弱さと言うものへの警告を指摘しているのかもしれない。 次第に文明社会に慣れてきたHuckの下に、彼の父親が登場する。以前なら父親の力や権威と言うものに脅えていたHuckだったが、教育を受けたせいか、もはや、彼は父親を恐れる対象として感じる事がなくなったようである。 "I see I warn't scared of him worth bothering about." (p.31) 教育と言うものは、これまでの家族の形態を壊すものではなかろうか。私は教育全般を悪いと言っているのではない。ましては、この飲んだ暮れで酔っ払いのHuckの父親のかたを持つつもりはない。ただ、かつては、生きるための術や知恵は、父親など、大人から学び身につけたものだと思う。その過程から目上のものに対する畏敬の念と言うものも生まれたであろう。しかし、教育と言うものによって多量に知識を得た者は、本と向かい合い同じくらいの年齢の者との討論によって形成された人間に、そのような畏敬の念はうまれないのではないか。それなのでHuckはここで、父親に対して恐怖を感じなくなったのではなかろうか。

その後Huckは、父親に捕まり、父親と自然の中で生活する。この生活に慣れるまでほとんど時間は要らなかった。 "… it warn't long after that till I was used to being where I was, and like it… It was kind of lazy and jolly, laying off comfortable all day, smoking and fishing, and no books nor study. " (p.36) しかし、次第に暴力を振るうようになった父親に恐怖を抱きHuckは父親の下から逃げ出す。そして、自分を死んだように見せかけて父親、Widow Douglasなどから完璧に逃げ出したHuckは、非常に文明社会からの束縛が解かれた事に満足する。 "I laid there in the grass and the cool shade, thinking about things and feeling rested and ruther comfortable and satisfied…. I was powerful lazy and comfortable." (p.49) しかし、まだ、一個人として、確固たるものを確立していない子供だからであろうか、文明社会からの離脱は、彼を孤独にする。そして、自由の喜びよりも、彼は一人になると孤独を感じてしまう。 "When it was dark Iset by my camp fire smoking, and feeling pretty satisfied; but by and by it got sort of lonesome,…" (p.51)

この事を解決するのがMiss Watsonの奴隷であるJimとの出会いである。そして、これから始まるJimとの旅、体験を通してTwainは、人種差別問題、性差別問題や、「文明社会」というものへの彼の疑問というものが書かれている。 まず、性差別問題というものを見てみたい。Huckが、Jimとあったのち、ジャクソン島の外でどのようなことをが起こっているか情報を集めにいった場面で、彼は、Mrs. Judith Loftusという女性に会う。Huckは、一応殺されたことになっているので、女装して出かけだのだが、このMrs. Loftusに女装していることがばれてしまう。このことから非常に面白いことがわかる。彼女がHuckを男と見破ったきっかけは、Huckが針に糸を通していたことからだった。Huckのやり方は、糸を固定して針を糸に通そうとしていたが、普通の女性は、針を固定して糸を通すらしい。そして、物を投げるときは、男は手首と肘を使って物を投げが、女は不器用に手首と肘を使わないで、肩のところに軸があるように頭の上まで振り上げて、少し的外れに投げる。 そして、ものを膝の上で受け止めるときには、足を閉じないで広げる。これは女がいつもスカートをはいているため受け止める面が大きいほうが、受け止めやすいからだろう。

"Bless you, child, when you set out to thread a needle up to it; hold the needle still and poke the thread at it - that's the way a woman most always does… And when you throw at a rat or anything, hitch yourself up a tip-toe, and fetch your hand up over your head as awkard as you can, and miss your rat about six or seven foot. Throw stiff-armed from the shoulder, like there was a pivot there for it to turn on - like a girl; not from the wrist and elbow, with your arm out to one side, like a boy. And mind you, when a girl tries to catch anything in her lap, she throws her knees apart; she don't clap them together, the way you did when you catched the lump of lead." (p.72)
このように、Mrs. Loftus は女性のとりうる行動をきちんと理解している。さらに、男性との違いも理解している。それならば、女性というものは、完璧に男性の真似を出来るのではないかということが言えるのではないか。なぜ、女性というものは、物を投げるときを例にするならば、不器用に投げなくてはならないのか。それは、ジェンダーというものが女性というものを作り出しているからではなかろうか。言い換えれば、ジェンダーは虚構のものである。女性というものが存在するのは女性らしく振舞っているからであった、もともと女性というものは、 "sex"としては、存在するが、社会的には人間として、一個人として存在するものではなかろうか。Twainは、そのようなものは、まやかしであると、いいたいのではなかろうか。 それは、人種差別問題にも言えるのではなかろうか。この物語の中では、黒人も白人も同じ人間であるということを実に上手に書いていると思う。章が進むごとに徐々にHuckがJimに対する認識を変えることをもとにして書いている。

まず、はじめに、HuckがJimへの見方が奴隷としてではなく、同じ視点で見ている個所に、先ほどのMrs. Loftusから街ではJimがHuckを殺したということになっていて、Jimを探していることを聞いて、Jimのもとに帰ったHuckが「僕たちに追っ手がくる。」 "They're after us!" (p.72) と "us"と言っているところにHuckはこれからも、Jimと一緒に行動することが読み取れる。

そして、難破船の冒険から帰ったJimはHuckに対して、あんなことはもうこりごりだと言う。それは、溺れ死ぬか、助かったとしても、助けてくれた人がMiss Watsonのもとへ送り返して南部に売り飛ばすだろうという。それに対してHuckは、Jimのいうことはそのとおりで、Jimは黒人にしては頭がいいと言う。 "Well, he was right; he was most always right; he had an uncommon level head, for a nigger." (p.86) そして、同章でのソロモン王の話とフランス人がフランス語を話すことについて、Jimの合理的な話によりHuckは弁解の余地がなくなるほどでしまいには、負け惜しみを言っているほどである。 "I see it warn't no use wasting words - you can't learn a nigger to argue. So I quit." (p.90)

Jimの誠実なやさしい性格に対して、Huckが罪悪感を覚えるエピソードがある。それは、15章で、霧の中をJimはいかだで、Huckはカヌーで下っているときに別れ別れになり、霧が晴れ再開したHuckにJimは、Huckが溺れ死なずに、また会えたことに非常にうれしいという気持ちを伝える。 そのときの気持ちをJimは、「ひざまずいて、Huckの足にキスをしてもよかった。」"I could a got down on my knees en kiss' yo' foot I's so thankful." (p.95) しかし、Huckは、夢を見ていたんだ、とJimをだます。そのことに対しJimは、だますなんて最低だと言う。 "Dat truck dah is trash; en trash is what people is dat puts dirt on de head er dey fren's en makes 'em ashamed." (p.95) このことに対して、Huckはあやまる。 "It was fifteen minutes before I could work myself up to go and humble myself to a nigger - but I done it…" (p.95) 謝ると言う行為は、もはやHuckはJimを対等に見ていると言ってもいいのではなかろうか。もし、対等に見ていないのなら謝る必要はないのだから。
そして、31章でJimが売られてHuckと別れ別れになる場面でこの物語はクライマックスを迎える。ここでは、Huckの白人としての良心と、人間としてのHuckの良心の葛藤を描いたものである。いままで、親友のように仲良くしてくれたJimに対してどのように対処してよいかわか、あるいは、逃亡奴隷を知らせることが当たり前の社会の掟に従うべきか、という究極の問題に突き当たってしまった。ここで、TwainはHuckを人間としての良心に従って行動させる。つまり、いままで、いかに、JimがHuckにたいして親切にしてくれたか、また、世界で一番の親友だと呼んだことなどをあげることによって、Jimの人間性と言うものをここで強調しているのでなかろうか。つまり、黒人奴隷と言うものは、白人に尽くすために生まれてきたのではなく、頭のよく、温かく、誠実で、親切な面も持っている。白人の持つ一般的な黒人のイメージというものは、虚構であると言うことをここで訴えていると思われる。

この物語は、Twainが指摘する「文明社会」への疑問として、大まかに分けて5つに分けられられると思う。それは、宗教、人種問題、ジェンダー、教育、犯罪者である。強いて言えば、キリスト教教義、黒人問題、女性問題、教育、世の中にはびこる偽善、裏側にあるものである。これら全て「文明社会」が作り出したものであると言えよう。キリスト教が中心にあり、ここでいうキリスト教とは、その時の時勢によりかえられたと思う。女性は弱く男性に頼らなければならないように生活し、黒人は奴隷として白人に尽くす、そして、キリスト教の教育を受けた白人の男性が中心となって世の中を作っていく。それから外れたものは、落伍者として弱肉強食の世の中を生きていく。このようなものが、この本が書かれた時代の社会だったのではないか。そして、この構造をこの本から読み取れる事ができると思う。このような、社会体制にTwainは疑問を感じていたと思われる。キリスト教が作り出したまやかしの、「文明社会」この絶対的な価値観を持っていたものへの疑問を描いたものがこの本であると言えよう。


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