(C) Jacques Ferrandez / Gallimard

アルベール・カミュ:生きることへの愛

2010年、アルベール・カミュの没後50周年を記念して、私たちは第22回獨協大学インターナショナル・フォーラム「アルベール・カミュ:現在への感受性」を開催しました。それから10年が経過し、世界は未曽有のパンデミックに直面して、カミュが『ペスト』で描いた闘いが私たちの目の前で現実のものとなりました。日本の読者にとって、カミュは「不条理」と「反抗」の作家として知られています。しかし、彼のすべての作品の基盤にあるのは強烈な「生きることへの愛」であることは、これまであまり指摘されてきませんでした。『ペスト』の中では、タルーがリユーに次のように言っています。「もちろん、犠牲者のために闘わなくてはならない。けれども、他方でなにかを愛することをやめれば、闘うことは無意味になってしまう」。※ 「不条理」「反抗」に続いて、カミュが構想していた「愛」を主題とした作品群は、1960年不慮の自動車事故による早世のため未完に終わってしまいました。しかし彼は、24歳のときにアルジェで出版した処女エッセイ集『裏と表』に収録された一篇に「生きることへの愛」の表題を与えました。17歳で当時は不治の病であった結核に罹患し、以後つねに死と直面することを余儀なくされた彼は、限られた生の領域を汲みつくそうして、生きることへの強烈な「愛」を抱き続けました。カミュの作品を初期からつぶさに見れば、そこには一貫して「愛」の主題があることがわかるでしょう。 カミュは地中海の自然、海や太陽をこよなく愛し、女性たちを情熱的に愛し、優しい母や家族、自分が育った土地であるアルジェの貧民街、そして祖国アルジェリアを愛しました。彼はまた、スポーツや演劇活動がもたらす友愛を大切にしました。生きることへの愛にあふれたカミュは、同時に戦争や搾取によって堕落した時代が生み出す数々の問題に立ち向かいました。そして彼は、人間にとっての根源的価値である正義と自由を愛し、それを守りぬこうとしたのです。 こうして、その作品のすべてを通して、愛の作家としてのカミュのもうひとつの顔があきらかになります。私たちはそれを12月3日・4日に開催される第32回獨協大学フォーラムの主題にすえたいと思います。

 

 ※カミュ『ペスト』、三野博司訳、岩波文庫、377頁。

アルベール・カミュとは?

アルベール・カミュは1960年1月4日、プロヴァンスの小村で過ごしたヴァカンスから帰宅する際、パリの近くで交通事故にあって亡くなりました。47歳でした。カミュは何よりもまず、『異邦人』の作者として知られています。「今日、ママンが死んだ。もしかすると昨日かもしれないが、私にはわからない」という冒頭で始まる、衝撃的な小説です。主人公のムルソーは、アラブ人を殺したかどで死刑を宣告されますが、実際のところは、アラブ人殺しそのものよりも、社会が期待するような行動をとらなかったために、判決がくだされます。カミュのふたつめの小説『ペスト』は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツへの抵抗の戦いを物語る寓意的な小説です。カミュはその他にも多くの文学テクストやエッセイを残していますが、とりわけ『反抗的人間』は、人間存在を抑圧しようとするあらゆるものに対して抵抗をしてゆくなかで、いかにして自由と連帯を守ってゆけるかという問題を問うた作品です。 

アルベール・カミュはフランスの支配下にあったアルジェリアの貧しい家庭に生まれました。君は絶対に学問を続けてゆくべきだ、という小学校教師の強い励ましがなければ、少年カミュがのちに偉大な作家になることもなく、1957年にノーベル賞作家として世界的な栄誉を受けることもなかったでしょう。太陽、海、そして生きることそのものを熱烈に愛したカミュは、思春期に結核をわずらったことによって、死という過酷な現実に直面しました。カミュは理解しました。今ここという現実を生きること、生が我々に与えてくれる楽しみや喜びを享受すること、そして同時に、いつかもっと良くなるかもしれないという漠然とした遠い未来への期待ではなく、今ここにおいて不正と戦うことの大切さを。近所の子供たちと通りで遊んだり、サッカーをしたりするうちに、カミュは、人と一緒になにかをすることの楽しみを覚えました。そしてその喜びを、戯曲を描いて友人たちと上演したり、生涯の何年もを費やした新聞記者としての活動の中で再び見出そうとしました。カミュにとって、誰かを排除したり、見捨てたりすることは、ありえない考え方でした。アルジェリア独立戦争の宣戦布告がなされたときにも、カミュは、自分が生を受け、青春期のすべてをすごしたアルジェリアの地で、アラブ人であれ、フランス人であれ、あらゆる人が十全に生活する権利を認められるようにと、あらゆることをしたのです。

 

 

主要著作 

1937年 『裏と表』 

1939年 『結婚』 

1942年 『シーシュポスの神話』 

1942年 『異邦人』 

1944年 『カリグラ』 

1944年 『誤解』 

1947年 『ペスト』 

1948年 『戒厳令』 

1949年 『正義の人びと』 

1950年 『自由の證人』 

1951年 『反抗的人間』 

1953年 『創造と自由』 

1954年 『夏』 

1956年 『転落』 

1957年 『追放と王国』 

1957年 『ギロチン』 

1958年 『アクテュエル III』 

1965年 『太陽の後裔』 (カミュの死後に刊行) 

1971年 『幸福な死』(カミュの死後に刊行) 

1994年 『最初の人間』(カミュの死後に刊行)  

 

 アルベール・カミュ 年譜 

1913年  11月7日、リュシアン・カミュと、スペイン人の家系であるカトリーヌ・サンテスの次男として、モンドヴィ(アルジェリア)に生まれる。父リュシアンはブドウ栽培業の管理人であった。 

1914年  第一次大戦が勃発すると、8月、リュシアンはフランス本国に動員される。カトリーヌは、二人の子供を連れて、アルジェの母のもとに身を寄せる。10月11日、リュシアン・カミュはマルヌの戦いで負傷し、サン=ブリユーの軍人病院で死亡。 

1921年  母カトリーヌ・カミュ、兄、そして聾者でほとんど話すことができない叔父と一緒に、アルジェの下町ベルクールに住み始める。母は無口で、他人の家で家政婦として働き、生計を立てる。家のなかでは、祖母が実質的な家長として振る舞う。

 1924年  小学校の担任教師であったルイ・ジェルマンの後押しがあり、奨学金も得て、カミュはアルジェのグラン・リセに入学する。 

1929年  中心街で肉屋を営んでいた叔父ギュスターヴ・アコーは、豊富な蔵書を所有していた。彼はカミュに、アンドレ・ジッドの『地の糧』を貸す。しかし、カミュがジッドを高く評価するのはずっとのちになってからである。 

1930年  10月 リセの哲学級に進み、哲学者でエッセイストのジャン・グルニエの講義に出席する。グルニエは、カミュにとって、生涯の師であり友となる。カミュはサッカーに興じ、ゴールキーパーをつとめる。12月、結核に罹患し、そのため以後公教育に職を得られなくなる。 

1931年  栄養ある食事で病身を養うため、母の家を出て、アコー叔父の家に住む。祖母が死亡。 

1932年  リセの生徒たちの雑誌『南』に最初のエッセイを発表する。ジャン・グルニエの手引きで、アンドレ・リショーの小説『苦悩』を読む。「私はこの美しい書物のことをけっして忘れたことはない。それは、母親だの、貧困だの、空の美しい夕暮れなど、当時の私が知っていたことを語ってくれた最初の書物だった」 

1933年  シモーヌ・イエとの結婚計画のため、アコー叔父と仲たがいする。この後、ひんぱんに住居を変えることになる。10月からはアルジェ大学の文学部で学び始める。 

1934年  健康への新たな不安が生まれる。6月、シモーヌ・イエと結婚。 

1935年  5月、『手帖』を書き始める。夏、結核の新たな不安のため、チュニジア旅行を断念。ジャン・グルニエの同意のもと、共産党に入党。9月、スペインのバレアレス諸島で数日を過ごしたあと、友人たちと労働座を結成(1937年10月からは仲間座と改称)し、演劇作品や翻案作品を上演する。 

1936年  4月、集団制作『アストュリアスの反乱』が、アルジェ市長により上演禁止となるが、戯曲はアルジェのシャルロ書店から刊行される。5月、高等教育修了証論文『キリスト教形而上学とネオプラトニズム、プロティノスと聖アウグスティヌス』を提出してアルジェ大学を卒業。夏、中央ヨーロッパに旅行し、シモーヌの裏切りを知って別れることを決意。イタリアを経由して帰国する。 

1937年  5月、エッセイ集『裏と表』刊行。最後から二つ目の章は、「生きることへの愛」の表題をもつ。小説『幸福な死』に取り組むが、生前に刊行されることはなかった。夏、イタリアへふたたび旅行。共産党を離党する。 

1938年  10月 人民戦線の左翼勢力によって支援された日刊紙『アルジェ・レピュブリカン』の編集に加わる。編集長はパスカル・ピアであった。カミュはルポルタージュ、調査記事、裁判傍聴記、書評等を書く。 

1939年  5月、エッセイ集『結婚』刊行。6月、『アルジェ・レピュブリカン』紙にカビリアの悲惨に関する11本の記事を発表。9月3日、第二次世界大戦が勃発。カミュは志願するも健康上の理由で除隊となる。9月15日、ピアとカミュは、1枚だけから成る、平和主義と無政府主義の新聞『ル・ソワール・レピュブリカン』紙を創刊。1940年1月7日に発禁となる。 

1940年  春、パリへ出発。パスカル・ピアの口利きで、『パリ=ソワール』紙に職を得る。ドイツ軍の侵攻とそれに伴う潰走に続いて、同紙はリヨンへと退却し、そこでカミュは12月3日フランシーヌ・フォールと結婚する。しかし、『パリ=ソワール』を解雇され、フランシーヌの実家があるオランに住むために出発する。 

1941年  一年の大半をオランで過ごし、個人授業をしたり、将来の作品のために仕事をする。 

1942年  5月、ピアとアンドレ・マルローの強い推薦を受けて、『異邦人』がガリマール社から刊行される。8月、結核療養のため、フランシーヌとともにフランス本国に戻り、ル・シャンボン=シュル=リニョン(サン=テチエンヌの近郊)に住む。10月、『シーシュポスの神話』刊行。10月、フランシーヌはアルジェリアに戻るが、11月11日、ドイツ軍が南フランスの自由地帯を占領し、カミュはフランスから出国できなくなる。 

1943年  6月、パリでジャン=ポール・サルトルに出会い、11月、ガリマール社の原稿審査委員になる。年末、地下新聞の『コンバ』に参加する。 

1944年  6月、『誤解』初演。舞台稽古のとき、マリア・カザレスと出会う。『コンバ』紙の編集長になる(パスカル・ピアが経営者)。パリ解放後、多数の論説や記事を書く。 

1945年  5月、アルジェリアの危機に関して、『コンバ』に6本の記事を書く。9月5日、双子のカトリーヌとジャンが誕生。9月末、『カリギュラ』初演。10月、戦争とレジスタンスに関する考察の書『ドイツ人の友への手紙』刊行。 

1946年  3月―6月、アメリカ合衆国への旅行。「人間の危機」を始めとするいくつかの講演を行う。ニューヨークでアンドレ・ブルトンと出会う。11月、ルネ・シャールと親交を始める。『コンバ』に8本の論説、「犠牲者も否、死刑執行人も否」を発表。12月1日、講演「無信仰者とキリスト教徒」を行う。 

1947年  パスカル・ピアと絶交。6月、『コンバ』から手を引く。『ペスト』が刊行され、すぐに大成功を収める。 

1948年  10月、ジャン=ルイ・バローと協力して制作した『戒厳令』初演。秋、「世界市民」ゲーリー・デービスを支援する。 

1949年  6月末―8月末、南米旅行。深い疲労とともに帰国し、1951年初めまでの長い休養を必要とする。12月、『正義の人びと』初演。 

1950年  カブリ(アルプ=マリティーム県)、ヴォージュ地方、サヴォワ地方に幾度か滞在する。6月、『アクチュエル、1944年-1948年』刊行。 

1951年  10月、『反抗的人間』刊行。これに先立ちいくつかの抜粋が発表され、アンドレ・ブルトンとの論争を始め、いくつかの論争を引き起こした。11月、「アンドレ・ジッドとの出会い」発表し、前年に逝去したこの偉大な作家をたたえる。 

1952年  フランシス・ジャンソンが『レ・タン・モデルヌ』(J.-P.サルトルが主宰する雑誌)に、『反抗的人間』への激しい侮蔑的な論評を発表。カミュは同誌において、直接サルトル宛に答え、さらにサルトルがそれに答えて、ふたりは絶交に至る。 

1953年  カルデロンの『十字架への献身』とピエール・ド・ラリヴェイの『精霊たち』を翻案し、6月、アンジェ演劇祭において、マリア・カザレスの主演で上演。東ベルリンの労働者の暴動に対するソ連の弾圧を批判する。『アクチュエルⅡ(1948-1953)』刊行。10月、フランシーヌ・カミュが重いうつ病にかかる。未完に終わった小説『最初の人間』の執筆に着手。 

1954年  2月、『夏』刊行。フランシーヌの健康状態に当惑したカミュは、もう執筆ができないと友人たちに打ち明ける。10月、オランダ旅行、11月、イタリアへ講演旅行。11月1日、アルジェリア戦争勃発。 

1955年  3月、ディーノ・ブッツァーティの中編小説を翻案した『ある臨床例』を上演。春、ギリシアへ初めての旅行。アルジェリアの状況や国際政治に関する時評などを書く目的で、『レクスプレス』誌への寄稿を始める。7月末―8月、イタリア旅行。 

1956年  1月22日、アルジェにおいて「市民休戦」を呼びかける。2月2日、『レクプレス』に最後の原稿「モーツァルトへの感謝」を発表。5月、『転落』刊行。9月、フォークナーの小説を翻案した『尼僧への鎮魂歌』を上演。カトリーヌ・セラーズが主演。11月、ソ連軍により弾圧されたハンガリーの反乱者のために発言する。 

1957年  3月、短編集『追放と王国』刊行。6月、アンジェにおいて、ロペ・デ・ベガの戯曲を基にした翻案『オルメドの騎士』を上演。6月―7月、死刑制度に反対して、「ギロチンに関する考察」を、『NRF』誌に、次にアーサー・ケストラーとジャン・ブロック=ミシェルとともに刊行した『死刑についての考察』に発表。10月、「今日人間の良心に提起されている問題に光をあてた作品全体に対して」ノーベル文学賞が授与される。 

1958年  1月、ストックホルムの演説と、ウプサラ大学での講演「芸術家とその時代」を含む『スウェーデンの演説』刊行。6月、『アクチュエルⅢ、アルジェリア年代記(1939-1958)』刊行。マリア・カザレスらの友人たちとギリシア旅行。9月、ルールマランに別荘を買う。 

1959年  1月、ドストエフスキーの小説を翻案した『悪霊』を上演。春からルールマランに数度滞在するが、11月15日からの滞在が最後となる。『最初の人間』の執筆を進める。 

 

出典: ピエール=ルイ・レイによる年譜(ガリマール社版、プレイヤッド叢書) および国際カミュ学会(Société des Études camusiennes)のホームページ。  

参考: ブログ「カミュ、その日その日」日にちごとのカミュの伝記。写真豊富。エクサン=プロヴァンス図書館、アルベール・カミュ・センターのサイトに掲載された年譜(写真付き)

出典: ピエール=ルイ・レイによる年譜(ガリマール社版、プレイヤッド叢書) および国際カミュ学会(Société des Études camusiennes)のホーム・ページ。 https://www.etudes-camusiennes.fr/albert-camus/ 参考: ブログ「カミュ、その日その日」日にちごとのカミュの伝記。写真豊富。https://camusauquotidien.blogspot.com/ エクサン=プロヴァンス図書館、アルベール・カミュ・センターのサイトに掲載された年譜(写真付き)http://www.citedulivre-aix.com/Typo3/fileadmin/documents/Expositions/centrecamus/biographie.htm

プログラム

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プログラム、登壇者プロフィールと発表要旨
パンフレット
ポスター

 

12月3日(金)

13:15 - 13:30  開会式

13:30 - 14:30  講演 I

司会:⾼塚浩由樹

三野博司:「カミュの作品における愛」

休憩

15:00 - 16:30  セッションI :『幸福な死』から『異邦人』へ

司会:千々岩靖⼦

ジェイソン・ヘルベック:「『幸福な死』における「幸福への要求」あるいはカミュにおける意識の「華麗な播種」」

ギヨーム・ジャンメール :「『異邦人』における生きることへの愛―翻訳の比較」

渡辺惟央 :『異邦人』における言葉と愛 ―ムルソーの言語観について―

休憩

17:00 - 18:00  セッション II : 災厄の時代

司会:フィリップ・ヴァネ

マリー=テレーズ・ブロンドー:「災厄の時代における生きることへの愛」

フランク・プラネイユ:「世界はまだ最後に「歴史」に勝つことができるだろうか?」

18:00 - 18:15  朗読 Ⅰ

ジョルジュ・ヴェスィエール

 

 

12月4日(土)

09:30 - 11:00  セッションⅢ :自然の中で、または自然を前にして:生とその有限性

司会:⾼塚浩由樹

徐佳華(シュー・ジアホワ):「自然と人間のあいだで:カミュの視点」

稲田晴年:「自然を前にしたカミュ」

ソフィー・バスティアン:「かりそめの生への反抗的な愛」

休憩

11:15 - 12:15 セッションIV: カミュは(反)ヒューマニストか?

司会:根木昭英

竹内修一:「『反抗的人間』に於ける「人間への愛」」

青柳悦子:「愛の不可能性が生む愛」

12:15 - 12:30  朗読 II

(獨協大学在学生)

休憩

13:15 - 14:15 セッション Ⅴ:愛の作品群へ

司会:千々岩靖⼦

安藤智子:「「反抗」から「愛」へ」

高塚浩由樹:「「生きて、創造しなければならない」― アルベール・カミュにおける「愛の作品群」への困難な移行」

休憩

14:30 - 16:45 パネル・ディスカッション 生きることへの愛、カミュと同時代の三人

司会:フィリップ・ヴァネ

アンドレ・ブルトン(ソフィー・バスティアン)、ジャン=ポール・サルトル(根木昭英)、ルネ・シャール(フランク・プラネイユ)

休憩

17:00 - 18:00 講演 II

司会:根木昭英

アンヌ・プルトー:「生きることへの愛、女性の仕事?」

18:00 - 18:15 朗読 III

ジョルジュ・ヴェスィエール

18:15 閉会式

 

 


プログラム、登壇者プロフィールと発表要旨
パンフレット
ポスター

 

12月3日(金)

05:15 - 05:30  開会式

05:30 - 06:30  講演 I

司会:⾼塚浩由樹

三野博司:「カミュの作品における愛」

休憩

07:00 - 08:30  セッションI :『幸福な死』から『異邦人』へ

司会:千々岩靖⼦

ジェイソン・ヘルベック:「『幸福な死』における「幸福への要求」あるいはカミュにおける意識の「華麗な播種」」

ギヨーム・ジャンメール :「『異邦人』における生きることへの愛―翻訳の比較」

渡辺惟央 :『異邦人』における言葉と愛 ―ムルソーの言語観について―

休憩

09:00 - 10:00  セッション II : 災厄の時代

司会:フィリップ・ヴァネ

マリー=テレーズ・ブロンドー:「災厄の時代における生きることへの愛」

フランク・プラネイユ:「世界はまだ最後に「歴史」に勝つことができるだろうか?」

10:00 - 10:15  朗読 Ⅰ

ジョルジュ・ヴェスィエール

 

 

12月4日(土)

01:30 - 03:00  セッションⅢ :自然の中で、または自然を前にして:生とその有限性

司会:⾼塚浩由樹

徐佳華(シュー・ジアホワ):「自然と人間のあいだで:カミュの視点」

稲田晴年:「自然を前にしたカミュ」

ソフィー・バスティアン:「かりそめの生への反抗的な愛」

休憩

03:15 - 04:15 セッションIV: カミュは(反)ヒューマニストか?

司会:根木昭英

竹内修一:「『反抗的人間』に於ける「人間への愛」」

青柳悦子:「愛の不可能性が生む愛」

04:15 - 04:30  朗読 II

(獨協大学在学生)

休憩

05:15 - 06:15 セッション Ⅴ:愛の作品群へ

司会:千々岩靖⼦

安藤智子:「「反抗」から「愛」へ」

高塚浩由樹:「「生きて、創造しなければならない」― アルベール・カミュにおける「愛の作品群」への困難な移行」

休憩

06:30 - 08:45 パネル・ディスカッション 生きることへの愛、カミュと同時代の三人

司会:フィリップ・ヴァネ

アンドレ・ブルトン(ソフィー・バスティアン)、ジャン=ポール・サルトル(根木昭英)、ルネ・シャール(フランク・プラネイユ)

休憩

09:00 - 10:00 講演 II

司会:根木昭英

アンヌ・プルトー:「生きることへの愛、女性の仕事?」

10:00 - 10:15 朗読 III

ジョルジュ・ヴェスィエール

10:15 閉会式

 

 


プログラム、登壇者プロフィールと発表要旨
パンフレット
ポスター

 

12月2日(木)- 12月3日(金)

23:15 - 23:30  開会式

23:30 - 00:30  講演 I

司会:⾼塚浩由樹

三野博司:「カミュの作品における愛」

休憩

01:00 - 02:30  セッションI :『幸福な死』から『異邦人』へ

司会:千々岩靖⼦

ジェイソン・ヘルベック:「『幸福な死』における「幸福への要求」あるいはカミュにおける意識の「華麗な播種」」

ギヨーム・ジャンメール :「『異邦人』における生きることへの愛―翻訳の比較」

渡辺惟央 :『異邦人』における言葉と愛 ―ムルソーの言語観について―

休憩

03:00 - 04:00  セッション II : 災厄の時代

司会:フィリップ・ヴァネ

マリー=テレーズ・ブロンドー:「災厄の時代における生きることへの愛」

フランク・プラネイユ:「世界はまだ最後に「歴史」に勝つことができるだろうか?」

04:00 - 04:15  朗読 Ⅰ

ジョルジュ・ヴェスィエール

 

 

12月3日(金)- 12月4日(土)

19:30 - 21:00  セッションⅢ :自然の中で、または自然を前にして:生とその有限性

司会:⾼塚浩由樹

徐佳華(シュー・ジアホワ):「自然と人間のあいだで:カミュの視点」

稲田晴年:「自然を前にしたカミュ」

ソフィー・バスティアン:「かりそめの生への反抗的な愛」

休憩

21:15 - 22:15 セッションIV: カミュは(反)ヒューマニストか?

司会:根木昭英

竹内修一:「『反抗的人間』に於ける「人間への愛」」

青柳悦子:「愛の不可能性が生む愛」

22:15 - 22:30  朗読 II

(獨協大学在学生)

休憩

23:15 - 00:15 セッション Ⅴ:愛の作品群へ

司会:千々岩靖⼦

安藤智子:「「反抗」から「愛」へ」

高塚浩由樹:「「生きて、創造しなければならない」― アルベール・カミュにおける「愛の作品群」への困難な移行」

休憩

00:30 - 02:45 パネル・ディスカッション 生きることへの愛、カミュと同時代の三人

司会:フィリップ・ヴァネ

アンドレ・ブルトン(ソフィー・バスティアン)、ジャン=ポール・サルトル(根木昭英)、ルネ・シャール(フランク・プラネイユ)

休憩

03:00 - 04:00 講演 II

司会:根木昭英

アンヌ・プルトー:「生きることへの愛、女性の仕事?」

04:00 - 04:15 朗読 III

ジョルジュ・ヴェスィエール

04:15 閉会式

 

 


プログラム、登壇者プロフィールと発表要旨
パンフレット
ポスター

 

12月2日(木)- 12月3日(金)

21:15 - 21:30  開会式

21:30 - 22:30  講演 I

司会:⾼塚浩由樹

三野博司:「カミュの作品における愛」

休憩

23:00 - 00:30  セッションI :『幸福な死』から『異邦人』へ

司会:千々岩靖⼦

ジェイソン・ヘルベック:「『幸福な死』における「幸福への要求」あるいはカミュにおける意識の「華麗な播種」」

ギヨーム・ジャンメール :「『異邦人』における生きることへの愛―翻訳の比較」

渡辺惟央 :『異邦人』における言葉と愛 ―ムルソーの言語観について―

休憩

01:00 - 02:00  セッション II : 災厄の時代

司会:フィリップ・ヴァネ

マリー=テレーズ・ブロンドー:「災厄の時代における生きることへの愛」

フランク・プラネイユ:「世界はまだ最後に「歴史」に勝つことができるだろうか?」

02:00 - 02:15  朗読 Ⅰ

ジョルジュ・ヴェスィエール

 

 

12月3日(金)- 12月4日(土)

17:30 - 19:00  セッションⅢ :自然の中で、または自然を前にして:生とその有限性

司会:⾼塚浩由樹

徐佳華(シュー・ジアホワ):「自然と人間のあいだで:カミュの視点」

稲田晴年:「自然を前にしたカミュ」

ソフィー・バスティアン:「かりそめの生への反抗的な愛」

休憩

19:15 - 20:15 セッションIV: カミュは(反)ヒューマニストか?

司会:根木昭英

竹内修一:「『反抗的人間』に於ける「人間への愛」」

青柳悦子:「愛の不可能性が生む愛」

20:15 - 20:30  朗読 II

(獨協大学在学生)

休憩

21:15 - 22:15 セッション Ⅴ:愛の作品群へ

司会:千々岩靖⼦

安藤智子:「「反抗」から「愛」へ」

高塚浩由樹:「「生きて、創造しなければならない」― アルベール・カミュにおける「愛の作品群」への困難な移行」

休憩

22:30 - 00:45 パネル・ディスカッション 生きることへの愛、カミュと同時代の三人

司会:フィリップ・ヴァネ

アンドレ・ブルトン(ソフィー・バスティアン)、ジャン=ポール・サルトル(根木昭英)、ルネ・シャール(フランク・プラネイユ)

休憩

01:00 - 02:00 講演 II

司会:根木昭英

アンヌ・プルトー:「生きることへの愛、女性の仕事?」

02:00 - 02:15 朗読 III

ジョルジュ・ヴェスィエール

02:15 閉会式

 

 

参加申込み

参加お申し込みは12/1(水)に締め切りました。参加ご希望の方は、以下までお問い合わせください。

展示会とシネクラブ

フランス語学科のシネ・クラブでは、第32回獨協国際フォーラム「アルベール・カミュ──生きることへの愛」に関連して、カミュの未完の遺作を原作とした『最初の人間』(日本語字幕つき)の上映イベントを催す予定です。2011年公開のこの映画は、ジャンニ・アメリオ監督がメガホンをとり、ジャック・ガンブラン、カトリーヌ・ソラ、マヤ・サンサ、ドゥニ・ポダリデスらをキャストに迎えて同年に制作されました。  

また、大学図書館でも「アルベール・カミュと日本の出版」をメインテーマとした展覧会が催されます。11月17日から12月7日まで館内の特設会場にて開催の予定です。 

両イベントへの参加に際しては、獨協キャンパスで実施されている新型コロナウィルス感染症防止策が適用されます。詳しくは学科と図書館それぞれのホームページをご覧ください。

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  • 主催 : 獨協大学外国語学部フランス語学科・獨協大学国際交流センター
  • 共催 : 日本カミュ研究会
  • 後援 : 国際カミュ学会、フランス大使館/アンスティチュ・フランセ、日本フランス語フランス文学会、埼玉県、草加市、獨協大学同窓会
  • 協賛 : 株式会社サイマル・インターナショナル、株式会社白水社



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