ドイツ語圏入門
ドイツ語圏の言語と文化 下川 浩
ドイツ語圏の言語
ドイツには、スラブ語系のソルブ語が話される地域がある。
スイスの公用語はドイツ語・フランス語・イタリア語・レトロマンシュ語の4つ
オーストリアにはたくさんの少数民族がいる。
ルクセンブルクでは、学校でドイツ語もフランス語も教えられる。
ドイツ語の方言
Deutsche Dialedte
http://www.deutsche-dialekte.at/
http://www.webgerman.com/german/dialects/
Deutsche Stamme und Dialekte
http://www.deutsche-schutzgebiete.de/deutsche-staemme.htm
Deutsche Welle
http://www6.dw-world.de/de/dialekt.php
ドイツ古典街道(ゲーテ街道)
Leipzig:Thomaskirche, Bacharchiv, Auer-bachskeller
Jena
Weimar:Goethehaus,Schillerhaus
Erfurt
Eisenach:Bachhaus
Fulda
Frankfurt am Main:Goethes Geburtshaus
ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe
1749〜1832 ドイツの詩人・劇作家・小説家・科学者。ゲーテの詩には、自然や歴史や社会と人間精神との関わりへの革新的な観察眼があらわれており、その戯曲や小説には、人間のもつ個性へのゆるぎない信念がうつしだされている。そして、こうしたゲーテの作品は、評論や書簡もふくめて、同時代の作家たちや、彼が主導的な役割をつとめた文学運動にきわめて大きな影響をあたえた。19世紀のイギリスの文芸批評家マシュー・アーノルドによれば、ゲーテは、「ドイツ文学界の大御所」というだけでなく、「世界文学のもっとも多才な巨匠のひとり」であった。
シラー Friedrich von Schiller
1759〜1805 ドイツの詩人・劇作家・哲学者・歴史家。ドイツ古典主義文学の代表的作家であり、世界文学史上においても偉大な作家のひとりとみなされている。
1759年11月10日、シュワーベン地方のネッカー河畔の町マールバハで、ビュルテンベルク公につかえる軍医の息子として生まれた。公国の士官学校で教育をうけ、その後法律や医学をまなんで、80年にはシュトゥットガルトに常駐する連隊の軍医に任命された。学生のころから詩を書き、最初の戯曲作品「群盗」(1781)もそのころ完成させている。「群盗」は、82年にマンハイムの国立劇場で上演されて好評だったが、上演にたちあおうと無断で公国をはなれた彼は、そのために禁固刑をいいわたされ、以後の戯曲執筆も禁止されることになった。82年9月、シラーは故郷を脱出した。
バッハ Johann Sebastian Bach
1685〜1750 ドイツ・バロックを代表するオルガン奏者・作曲家。西洋音楽史上、屈指の大作曲家。
ドイツ中部のアイゼナハで生まれたバッハは、音楽家としてドイツ各地をおとずれ、教会や宮廷のオルガン奏者や楽長をつとめた。バッハは各地で多くの傑作をのこしたが、その作品は同時代の人々にはあまりみとめられず、オルガン奏者としてのみ名声をえた。しかし、19世紀後半以降、バッハの作品とすぐれた対位法の技法が高く評価されるようになる。対位法は、2つ以上の旋律を同時に進行させる作曲技法である。
メンデルスゾーン Felix Mendelssohn
1809〜47 ドイツの作曲家。初期ロマン派の主要音楽家で、バッハ作品を19世紀に復活させた。
1829年、バッハの「マタイ受難曲」を、自らの指揮で再演。作曲者の死後まったく演奏されることのなかったバッハ作品に対する一般聴衆の関心を復活させ、バッハ復興に尽力した。
1833年にデュッセルドルフ市の音楽監督、35年にはライプツィヒのゲバントハウス管弦楽団の指揮者に就任。41年にはプロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム4世につかえる楽長になる。また、ライプツィヒ音楽院の創設に奔走し、43年に開校にこぎつける。
シューマンRobert Alexander Schumann
1810〜56 ドイツの作曲家。19世紀前半のロマン主義運動の主要音楽家。
初期はおもにピアノ曲を書いていたが、1840年になって突然に方向転換し、歌曲の創作に熱中するようになる。この年のうちに、アイヒェンドルフの詩による「リーダークライス」、ゲーテ他さまざまな詩人の詩による「ミルテの花」、シャミッソーの詩による「女の愛と生涯」、ハイネの詩による「詩人の恋」などの連作歌曲が、立て続けに作曲された。このため、40年はシューマンの「歌の年」といわれる。これらの歌曲では、詩の行間にひそむ微妙な人間心理の綾(あや)が繊細な音楽で描写され、またピアノ伴奏が歌と対等の役割をにない、詩の雰囲気と意味を表現するために貢献している。
バウハウス Bauhaus
ドイツの有名な美術工芸学校。近代の建築、工業デザイン、グラフィック・アート、舞台装飾にはかり知れない影響をあたえた。
1919年に建築家グロピウスは、19世紀イギリスのウィリアム・モリスとアーツ・アンド・クラフツ運動の理念にもとづき、ワイマールの美術学校と工芸学校を合併してバウハウスを創設した。その理念とは、芸術は社会の要求にこたえるべきであり、美術と工芸を区別すべきではないとするものであった。彼はさらにそれを一歩前進させて、産業界の要求や影響にも積極的に対応し、美的基準と技術的基準を同時にみたすデザインをめざそうとした。
リスト Franz Liszt
1811〜86 ハンガリー生まれのピアニスト・作曲家。19世紀ロマン派の主要作曲家で、ピアノのソロ・リサイタルという興行形態を創始した史上屈指の大ピアニスト。
10月22日、ショプロン近郊のライディング村に生まれる。父にピアノの手ほどきをうけ、9歳でコンサート・デビュー。その後ウィーンでオーストリアのピアニスト、チェルニーにピアノを、イタリア出身の作曲家サリエリに音楽理論をまなぶ。23年、両親とともにパリにうつり、イタリア出身のオペラ作曲家パエールとチェコ系フランス人の作曲家・音楽理論家レイハに作曲を師事。24年、ソロ・リサイタルをひらいて成功をおさめ、ピアニストとして名声を確立する。
ルター Martin Luther
1483〜1546 ドイツの神学者、プロテスタントの宗教改革をおこした指導者。その影響力は宗教だけでなく、ひろく政治や経済・教育・言語にもおよび、近代ヨーロッパ史の重要人物のひとりにかぞえられる。
メルヒェン街道
Hanau:グリム兄弟の生家 Hansel
und Gretel
Marburg: Rotkappchen
Kassel:グリム兄弟博物館
Hanmunden:Dornroschen, Doktor Eisenbart
Hameln:Rattenfanger
von Hameln
Bremen:Bremer Stadtmusikanten
ハンザ同盟都市
グリム兄弟
兄ヤーコプ・ルートウィヒ・カール・グリムJacob Ludwig Karl Grimm(1785〜1863)、弟ウィルヘルム・カール・グリムWilhelm Karl Grimm(1786〜1859)。
言語学と民俗学の分野で19世紀ドイツの指導的地位にあった学者兄弟。とくに「グリム童話」として知られる民話を収集し、まとめなおしたことで名高い。
ロマンティック街道
Wurzburg
Rothenburg ob der Tauber
Augsburg:Fuggerei
Fussen
デューラー Albrecht Durer
1471〜1528 宗教改革時代のドイツにおける絵画・素描・版画・芸術理論の巨匠。どの分野でもドイツ、ネーデルラントの16世紀の芸術家に深い影響をおよぼした。
チュービンゲン Tubingen
ドイツ南西部、バーデンビュルテンベルク州の都市。州都シュトゥットガルトの南南西約40km、ネッカー川とその支流アンメル川との合流点に位置する。人口は8万1300人(2001年推計)。
チュービンゲン大学は、ビュルテンベルク公エーバーハルト伯が設立した大学(正称はエーバーハルト・カール大学)で、革新的な人文主義者が多くあつまった。16世紀にはプロテスタント神学者フィリップ・メランヒトン(1497〜1560)が教鞭をとるなど、南ドイツにおけるルター派宗教改革で大きな役割をになった。1817年にカトリック神学部を開設、63年には哲学部を文学部と自然科学部にわけるなど、常に開かれた大学をめざした。また、大学とは別に1536年にウルリヒ公によって創設されたプロテスタント神学校では、天文学者のケプラー、哲学者のヘーゲルやシェリングらが学んだ。
ヘルダーリン Friedrich Holderlin
1770〜1843 ドイツの抒情(じょじょう)詩人。その作品は古典主義とロマン主義とのかけ橋としての役割をはたした。彼の詩業は長い間その真価がみとめられなかったが、20世紀前半ごろから再評価されるようになった。
シュワーベン地方のネッカー河畔の町ラウフェンに生まれた。チュービンゲン大学で神学をまなんだが、聖職者になることはなかった。やがて、同じ地方生まれの詩人シラーとであい、シラーが編集する雑誌に詩をのせたり、貴族や富豪にやとわれる家庭教師の職を世話してもらったりした。1796年、フランクフルトの銀行家ゴンタルト家の家庭教師になるが、夫人のズゼッテの中に古代ギリシャの美の理想像をみいだし、たがいに心ひかれる。この愛は破局におわるが、彼の詩に大きな影響をあたえた。1802年にヘルダーリンは精神錯乱におちいり、以後ほぼ40年間、その病にくるしみながら世をさった。
ザルツブルク Salzburg
オーストリア中部の観光・保養都市で、ザルツブルク州の州都。町の名はドイツ語の塩「ザルツ」と城「ブルク」に由来する。メンヒスベルク、カプチーナーベルクなどの丘にかこまれたザルツァハ川沿いの町で、ビール・金属・化学・繊維などの工業もおこなわれている。人口は14万4817人(2001年)。
モーツァルトの生誕地で、1920年以来、毎夏、国際的に有名なザルツブルク音楽祭がおこなわれている。高等教育機関には、ザルツブルク大学(1622年創立)、ザルツブルク音楽演劇大学(1914)がある。
ミュージカル<Sound
of Music>の舞台
チューリヒ Zurich
スイス北部にあるチューリヒ・カントン(州)の州都。チューリヒ湖岸のリマト川河口にある。スイス最大の商工業都市で、国内にとどまらずヨーロッパの金融と金取引の中心地である。おもな生産物は印刷材料、電気器具、電子機器、機械、織物・衣料、加工食品などである。人口は34万900人(2003年推計)。
チューリヒは詩人で小説家のケラーや、教育改革者ペスタロッチの生誕地である。20世紀文学を代表するアイルランド出身の小説家ジョイスは、ここに埋葬されている。
ハイジ Heidi
スイスの児童文学者ヨハンナ・シュピーリの小説。第1部が1880年、第2部は81年に刊行された。スイス・アルプスの山の村にすむ少女ハイジが、その素直で思いやりにあふれたやさしい心によって、人々の心の扉を開いていく。
人々の病んだ心と体をいやすアルプスの少女ハイジは、アルプスという自然にひめられた癒しの力の象徴でもある。おじいさんもクララも医師のクラッセンも、ハイジの天真爛漫(てんしんらんまん)なやさしい心にふれ、アルプスの自然にふれて、生き生きとした人間に生まれかわった。作者シュピーリはハイジをとおして、現代文明によって心身をむしばまれた人々をアルプスという自然が健康にするということをうったえかけているようである。
おわり