言語文化概論

(12)平和で豊かな国際社会

多民族国家

  複数の民族を基盤にして国家が成立する場合も多く、これを多民族国家といい、そのなかでの支配的民族と被支配民族の対立が民族問題として登場した。一方、植民地として支配されたアジア・アフリカでは民族国家の成立が暴力的に妨げられていたが、第二次世界大戦のあと次々に政治的独立を達成した。しかし、ここで成立した国家は、植民地時代に人為的に引かれた境界をそのまま国境とするなど、植民地時代の遺産によって不合理な要素を含んでおり、民族自決権の確立、民族国家の形成がまだ課題として残されている。

言語と国家

  国家と民族言語の間には次のような関係がある。(1)1言語が多国家で用いられる場合 たとえばドイツ語はドイツ,オーストリア,スイスなどで公用語とされている。(2)1言語がある1国家だけで用いられる場合 日本語と日本,ノルウェー語とノルウェーにその例を見る。(3)多言語が1国家で話されている場合 旧ソ連,中国,旧ユーゴスラビアのような地域的広がりの比較的大きい国家に多い。大半の言語は(1)もしくは(3)の型に入り,(2)の例は珍しい。

言語政策

 

  国家が言語の統一と規準化などのために施す政策。言語を支えているのはその言語を母語としている民族である。しかし政治単位である国家と言語の担い手である民族とは必ずしも一致しない。そこで国家は統一を維持するために民族言語を規制しようとし,民族はこれに反発する。ここに言語紛争の根源がある。

  言語政策の内容は、公用語・標準語の制定、文字改革、表記法の変更、「国語」教育など 

少数民族言語

  ロシアや中国は単一言語を数多くかかえているが,ほとんどが少数民族の言語である。そのような複合言語国家(多言語国家)では,常に多数民族と少数民族との間の言語調整が問題となる。もし放置しておくと,多数民族言語が少数民族言語を吸収してしまうおそれがある。例えば,アメリカにおけるアメリカ・インディアンの言語や日本におけるアイヌ語はいまや消滅の危機にさらされているし,かつて中国を256年にわたり支配した清王朝の言語である満州語も微少なまでに衰退してしまった。

旧ソ連の言語政策

  旧ソ連内の少数民族は,まず民族言語の方言の中から標準語を設定し,これに正書法を与えて伝達と文芸の表現手段として活用するように助成された。たとえばチュルク系のウズベク共和国(現,ウズベキスタン)では1939年から,ウラル系のコミ自治共和国(現,コミ共和国)では1936年からキリル文字による民族言語の正書法が確立され,文典や辞書類が発刊されると共に学校でも教授されていた。ただし,エストニア,ラトビア,リトアニア,それにグルジアとアルメニア共和国のように,すでにラテン文字もしくは固有の言語文字の表記法を所有する共和国もある。だがそこでも民族言語による学校教育が主体をなしつつも,やはりロシア語が必須として課せられていた。

植民地の言語

  かつて強大な国家は植民地を支配するにあたり,自国の言語を被支配民族に押しつける政策をとってきた。インドにおける英語,インドシナにおけるフランス語,インドネシアにおけるオランダ語がそうである。しかし植民地が解放されて支配されていた民族が独立すると,自己の民族言語を公用語として定立させるように努力する。

植民地独立後の公用語

  インドネシア共和国における公用語のインドネシア語はジャワのジャカルタを中心に発達したマレー語に基礎をおいたものである。フィリピンでは1937年にタガログ語が公用語として認められたのにもかかわらず,地方語の数が多いため,共通語としての英語の利用は衰えていない。179もの言語を内包するインドでは,有力な言語を中心に14もの公用語が定められているが,母語の異なる民族相互の伝達手段として,植民地時代の支配者言語である英語が共通公用語として用いられている

フィンランドの公用語

  いずれの複合言語国家でも,圧倒的に有力な言語をもたない限り公用語の指定をめぐって構成民族間の紛争はつきものである。ただし,フィンランドのように,フィンランド語が全体の95%の言語人口を占めるのにもかかわらず,文化的な影響力をもっていたスウェーデン語も,フィンランド語とともに公用語として認められているといった例もある。

スイスの公用語

  スイスのようにドイツ語,フランス語,イタリア語それにレト・ロマン語が公用語として比較的うまく共存している例もある。

  最近の移民排除政策でどうなるか?

ベルギーの言語戦争

  ベルギーではラテン系のワロン人とゲルマン系のフラマン人の間ですさまじい言語戦争が展開されている。ワロン人は人口の44%を占めフランス語を常用しているのに対し,フラマン人は55%の多数でオランダ語から派生したフラマン語を使っている。1831年の独立当初はフランス語を公用語に決めたが,フラマン人の猛烈な抵抗運動の末,フラマン語も公認されるにいたった。しかし両言語の社会的背景が異なるため,言語の攻防戦はいまだに継続されており,1993年には連邦国家に移行した

架空ニュース

カナダとノルウェーの言語戦争

  英語圏のカナダでもフランス語の人口の多いケベック州がフランス語のみを公用語とする独立運動を企てている。これらは異質言語間の闘争であるが,同質の言語内でも似たような競合が見られる。ノルウェーは1814年にデンマークの支配を脱して独立するにあたり,デンマーク語にノルウェー口語を混和させたリクスモールを作り上げた。ところがこれとは別に西部農村地帯の方言に立脚したランスモールが組み立てられ,両者の間に言語の内戦が繰り返されている。現在でも,それぞれボクモール,ニューノルスクと名称を改め,相互に正書法を補正しながら,階級闘争まがいの勢力争いを続けている。

「言語汚染」

  フランス語はアカデミーの管理の下でその純潔性を誇っていたが,最近は英語からの docking new look のような外来語がふえてきて頭を悩ましている。同様の問題はヨコ文字のはんらんする日本語にもあてはまる。しかし,それを規制することは難しい問題もあって,たとえば戦時中の日本で,国民精神の高揚のため外来語を自国語の新造語に置き換え,パーマを淑髪としたような例も想起しなければならないだろう。

言語干渉

  文化的に優位な言語が劣位の言語に音声や語彙や統語の面で深い影響を与える言語干渉は,さまざまな言語の歴史の中に見いだされるかなり普遍的な現象であり,ときには相手側言語を圧倒し完全に入れ代わってしまうことさえある。ラテン語がケルト民族に受け入れられフランス語を作り出したのも一例である。この場合ケルト語を基層としてラテン語は大きく変貌した。要するに,それぞれの言語そのものに価値の優劣などないのだが,言語はこれを話す言語集団と運命を共にする。強大にもなれば衰亡することもあるのである。

文字改革

  文字改革の例としては、トルコで1926年、それまでつかわれていたアラビア文字( アラビア語)ではなく、ローマ字(ラテン文字)をもちいることが決定された。モンゴルでは42年に、旧来のモンゴル文字からロシア語などと同じキリル文字への置き換えがおこなわれた。また中国が従来の漢字の字体を簡略化した簡体字を制定し、それを普及させたことなどがあげられる。

少数民族言語の弾圧と保護

  イギリスにおけるウェールズ語やスペインでのバスク語のように,よくその本質を保持している例もある。この場合は民族言語が独立運動のよりどころとなることが多い。ために複合言語国家では少数民族言語の弾圧がよく行われた。たとえばスペインのフランコ政権はカタルニャ語による書物の出版を禁止していた。しかし旧ソ連や中国のような超大国家は,それぞれロシア語と中国語を共通語として強制的に国民に教育する反面,少数民族の言語を文化語として確立させるよう配慮してきた。

グローバリズム

  地球主義あるいは地球共同体主義といわれるもので、世界を1つの共同体、また1つのシステムとしてとらえ、その立場から人類の平和、経済的福祉、社会的正義、環境との共存などをはかろうとする主張である。

 

グローバル・イシューズ

  グローバリズムの思想は、地球的問題群(グローバル・イシューズ global issues)の発生と密接に関連している。この時期に登場した資源エネルギー問題、食糧問題、環境問題、人口問題といった人類の生存にかかわる問題は、国家レベルでは解決不可能で、全地球レベルで包括的に対処する必要のある新たな問題群であった。こうした状況が「宇宙船地球号」といった地球共同体意識を世界的に広げ、グローバリズムを台頭させたのである。

グローバリゼーション

  グローバリズムという用語は、多国籍企業が、資源や部品の調達、生産の立地、マーケティング、販売などを、一国経済をこえて世界的規模で展開しようとする企業戦略をさしてもちいられる場合もある。また、日本版ビッグバン(金融制度改革)にともなって、日本に特有な企業活動への規制や慣行をとりはらって外に開かれた市場とする、その世界的に共通な規準を「グローバル・スタンダード」といったりもする。

トランスナショナリズム

  1960年代末ごろから J. S. ナイや E. L. モースらによって提唱された概念で,国際社会を考えるに当たって従来の国家単位ではとらえきれなくなったために,トランスナショナルな関係transnational relations(脱国家関係民際的関係と訳されることもある)やトランスナショナルな組織 transnational organization の重要性の増大が指摘された。

トランスナショナルな関係

  ある国の民間の個人・団体と他国の民間の個人・団体あるいは政府との間で形成される関係のことで、その典型は,私企業間で行われる貿易や私人間の国境を越えた通信などに求めることができる。また、ある国の民間の個人・団体が他国の個人・団体とともにつくった組織をトランスナショナルな組織と呼ぶ。これらは,いずれも一国の枠をこえた関係・組織であるが,ある国の政府と他国の政府との間で形成される政府間関係 intergovernmental relations(外交関係はその典型)や複数国の政府によって構成される政府間組織 intergovernmental organization(国連をはじめとするいわゆる国際機関はこれに当たる)とは区別される。

インターナショナリズム

  独立した民族国家や民族固有の文化的伝統の存在を前提として、その違いを超えて諸民族・諸国家の協力・共存を図ろうとする思想および行動。

  民族や国家の存在それ自体に価値を置き排他的に他民族・他国家を敵視するショービニズムや国家至上主義と対立し、民族や国家の存在を無視し媒介しないで諸個人と世界とを結び付けようとするコスモポリタニズム(世界主義)やユニバーサリズム(普遍主義)とは区別される。

国際統合

  一国の枠をこえた組織であるが、トランスナショナルな組織とも政府間組織とも異なる組織として超国家組織 supranational organization という概念がある。これは、個々の国家よりも上位の権威をもつ組織のことである。現存する組織の中でこれに最も近いものとしてはEU(ヨーロッパ連合)などの国際統合組織を挙げることができるが、もし将来世界連邦が建設されたとしたら、これは典型的な超国家組織となる。

  アフリカ連合(AU)、メルスコール(南米共同市場)、東アジア共同体の行方は不明。

NGO

  民間の非営利的国際協力団体で、国家政府の追求する国益に拘束されず、国境をこえた連携運動を展開している。一国内でのみ活動する民間団体をさすこともあるが、多くは複数の国にまたがる組織と活動の広がりをもつ。この意味で最近は、政府間の国際機構に対して非政府間国際機構ともよび、国際NGO(INGO)の語も用いられる。

国際連合

  国際連盟のあとをうけて、第2次世界大戦後に設立された国際機構。19451024日に国際連合憲章にもとづいて発足。本部所在地はニューヨーク。ジュネーブにヨーロッパ本部がある。国連の公用語は英語、スペイン語、フランス語、ロシア語、中国語、アラビア語。1024日は「国際連合の日」とされ、世界各国でさまざまな行事がおこなわれている。2001年には、秩序ある平和な世界をつくるための業績が評価され、コフィ・アナン事務総長とともに、国際連合にノーベル平和賞が授与された。

国連分担金

  国連加盟国がその能力に応じて国連の通常経費をまかなうために負担する金額のこと。19949月に総会分担金委員会の案に基づき、95年分からは国民所得の過去7年間(8692)の平均値と過去8年間(8592)の平均値を算出し、さらにこの平均を基準として分担率を計算することを決めた。日本は98年が17.981%で、2000年には20%を超えた。アメリカは上限の25%を分担するが、この上限を下げるよう主張している。また46年に合わせて71%を負担していた安保理常任5カ国の総計は、2000年で約39%となった。最低分担率は0.001%37カ国にのぼる。

  (現代用語の基礎知識 2001 )

UNESCO

  国際連合の専門機関。文化・コミュニケーション・教育・自然科学・社会科学・人間科学の分野での国際協力によって世界平和を促進する目的で、1946年に設立された。

国際人権規約

  国連人権委員会は、世界人権宣言につづいて、国際人権規約の起草作業をおこない、196612月の第21回国連総会において、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約またはA規約と通称)、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約、B規約と通称)ならびに「市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書」(選択議定書または第1選択議定書)が採択された(いずれも76年に発効。日本はAB規約について79年に批准)。国際人権規約は、これらの総称であり、国際社会が人権の分野でうちたてた金字塔である。なお、「死刑の廃止を目指す、市民的及び政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書」が89年に採択(91年発効)された。日本は第1、第2選択議定書ともに批准していない。

国際人権規約の第1の特徴

  社会権規約および自由権規約の共通第1条に人民の自決権に関する規定がおかれたことである。人民の自決権という、いわば集団の権利が規定されたのは、人民の自決権の保障なくしては個人の人権もありえないという考え方による。

国際人権規約の第2の特徴

  自由権と社会権を区別し、それぞれについて国家にことなる義務を課したことである。すなわち、自由権規約は、締約国にただちに実施の義務を課し、さらにこのため、必要な立法措置や権利侵害に対する効果的な救済措置をとることを義務づける。他方、社会権規約は、締約国に対して、規約上の権利を漸進的に達成するため自国の利用可能な手段を最大限にもちいて行動する義務を課す。両規約に列挙された諸権利は、おおむね世界人権宣言にかかげられた諸権利に対応しており、いずれもより詳細かつ精密に規定し、条約化したものといえる。

経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約第13条第2項(c)

  高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。

戦争は続く

スーダン・ダルフール地方

ツバルの選択

環境難民の時代

I・カントの「永遠平和論」予備条項

(1)将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約と見なされてはならない。

(2)独立しているいかなる国家も、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない。

(3)常備軍は、時とともに全廃されなければならない。

(4)国家の対外紛争に関しては、いかなる国債も発行されてはならない。

(5)いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。

(6)いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。

永遠平和のための確定条項

(1)各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。

(2)国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。

(3)世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。

世界共和国か民族連合か?

  カントの「永遠平和論」は、連邦共和制と一民族一国家制を前提としている。

  現在、連邦共和制を採用している大国は世界平和に貢献していない。

  現在、一民族一国家制による国家は一つも存在せず、多くの多民族国家で「民族紛争」が起きている。

 

  −>民族自決権を保証し、国家連合ではなく、民族連合により、世界平和を目指すべきである。

おわり−いつの日にか、また!

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