言語文化概論
( 6)文化の形成 ・変化
差別と文化
「部落」:非人・「穢多」(えた)
士農工商より下
山里に隔離された
−> 独自の文化?
竹田の子守唄のふるさと
子守唄
(1)寝かせ唄
(2)遊ばせ唄
(3)労働歌
五木の子守唄のふるさと
文化の古典的定義
文化人類学における文化の定義の中で最も古典的なものは、E. B. タイラーが《原始文化》(1871)の冒頭で示した定義である。彼は〈文化または文明とは、知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣習その他、社会の成員としての人間によって獲得されたあらゆる能力や慣習の複合総体である〉と述べた。
文化の諸定義
自然環境に対する適応の体系
メガーズ
B. J. Meggers
人間精神が生みだした象徴体系
レビ・ストロース
象徴と意味の体系
シュナイダー
D. Schneider
機能主義的な文化の概念
社会に関する価値,規範,神話,象徴,情報など (国家のイデオロギー装置) L. アルチュセール
類人猿の文化
文化とは?
ある集団の人間に共通した、ものの見方、感じ方、考え方、行動の仕方、生活の仕方
親から子へ、大人から子どもへと伝えられる。
=>種の維持・繁栄
=生きるため、より良く生きるために
行動や生活の道具、または文字などの記録を通じて知ることができる。
文化の学習と伝達
動物の行動はもっぱら遺伝と本能によって支えられているが、人間は、遺伝と本能に加えて、経験と模倣、および言語を通して、集団の一員としての思考、感情、行動を仲間から学習(習得)し、獲得したものを同世代、後世代の人々に伝達する。こうして集団の一員として学習、伝達されるものが、一つのセットとして統合性をもつ総体を文化と定義できる。たとえば国家、民族、部族、地域、宗教、言語などのレベルで、アメリカ文化、漢族文化、エスキモー文化、オセアニア文化、イスラム文化、ラテン文化などがあげられる。
サブカルチャー(下位文化)
文化の一部分を構成して相対的な独自性をもつものをサブカルチャー(下位文化)という。たとえば、個別文化における農民文化と商人文化、東日本文化と西日本文化、貴族文化と庶民文化、若者文化などが下位文化の例としてあげられる。
変化の激しい若者文化(1)
変化の激しい若者文化(2)
変化の激しい下位文化
文化の構成要素
思考、感情、衣、食、住、機械、制度などが一つのセットとして集団の文化が構成されており、これらの構成諸要素は言語、価値、社会、技術の4分野に大別される。各分野はそれぞれ独自の機能と相対的な自律性をもつと同時に、互いに関連をもちつつ補足しあい、一つの全体としてのまとまりをもっている。
言語と価値
このうち、独自の機能と自律性をもっとも強く保ち、他分野からの影響をもっとも受けにくいのは言語である(借用語は増えても発音、文法の基礎はきわめて変わりにくい)。価値の分野(道徳、思想、宗教、自然観、価値観など)は人間の内面にかかわり、すべての行動の方向決定を左右する。
社会関係と技術
慣習、制度、法律から日常的交際を含む社会関係は、他の分野とのかかわりが大きい。技術は、科学・経済的活動、自然への適応にとって中心的役割を果たし、他の3分野と違って、累積的であることがはっきりしているし、進歩という尺度を当てはめることができる。。
文化進化
生物進化の思想は19世紀後半の西欧を風靡(ふうび)するにいたったが、大発見時代以来発見されてきた未開民族、異民族の社会や文化を、進化論的観点から一般化しようという試みがなされた。初期の人類学はこうした文化進化論に基づいていた。
サピア・ウォーフの仮説
エドワード・サピアやベンジャミン・リー・ウォーフは、言語の構造は文化の特徴を反映するのみならず、その言語をつかう人々の思考様式にも影響をあたえるのではないかという仮説を提出している。言語は文化を追究する有力な手がかりであり、その研究は言語をモデルに文化一般の解明を示唆したソシュールをへて、第2次世界大戦後のレビ・ストロースの構造主義につながっていく。親族関係や神話などの文化的所産を素材に未開社会の分析をおこなったレビ・ストロースは、制度や慣習の根底にある無意識の構造の中に文化を指摘しているのである。
文化進化論
イギリスの
E. B. タイラーは、宗教がアニミズムに発して多神教にいたり、やがて一神教に発展したと論じ、J. G. フレーザーは呪術→宗教→科学という発展段階を唱えた。アメリカの
L. H. モーガンは、社会の発達を、蒙昧(もうまい)、野蛮、文明の3段階に分けて進化論を展開した。ところが、文化の変化は必ずしも一系列的に起こるものではないことが明らかになり、文化進化論はゆらいだが、その後,ホワイト
L.A. White,E. サービスらは、文化の新進化論を唱えた。地球上における旧石器時代以来の文化の発達、進化そのものは否定しえない事実であるからである。
文化変化
未開と文明を問わず、あらゆる文化は変化する。文化変化とは、社会や文化の体系が変化することであり、これには内部的要因に基づくものと、外部的要因に基づくものとがある。内部的要因には、自然環境の変化(集団の移動などによるもの、環境の変化によるもの)、経済的要因(採集狩猟経済から食料生産経済への変化、技術上の変化など)、人口の要因(人口の増加、人口の性別・年齢別構成の変化)がある。外部的要因は、外部文化からの異文化要素の伝播による変化の要因である。
文化変容
外的要因による文化変化の一つで、これは〈独立の文化をになう二つ以上の社会が、長期にわたって直接に接することにより、いずれか一方または両方の文化体系に変化を生ずる現象〉をいう。文化変容は、西欧の植民地であった地域において原住民とヨーロッパ人との直接の接触を通じ、とくに原住民の側に見られた。
ヤキ族と文化変容
文化変容は、互いに接しあう集団の関係によって影響される。たとえば、スペインのカトリック神父のなかで、北米インディアンのヤキ族の所にやってきたものは、インディアンの指導者と結んで新しい村づくりのリーダーとして活躍し,住民と生活をともにし、住民の伝統宗教をとくに禁じようとしないで布教に努めた。その結果ヤキ族の土着信仰はカトリックと融合して独特の展開をみた。
プエブロ族と宗教
ところが、同じ北米インディアンのプエブロ族にやってきたスペインのカトリック神父たちはスペイン軍人を伴い、プエブロ族の伝統的宗教を禁じ、プエブロ族が宗教儀礼に使う神聖な場所をこわし、祭りの道具や仮面を燃やした。また、禁令に反して伝統の宗教儀礼を行った者を鞭で打ったり、絞刑に処した。このためにプエブロ族は表面的にはカトリックだが、同時にひそかに昔ながらの儀礼を行い続けた。そのため宗教面における文化変容はヤキ族とは別の形を示し、土着信仰とカトリックとは融合せずに事実上並存あるいは分立する状態が生まれた。
文化接触
異なる二つ以上の文化の接触をいう。文化接触は異なる文化をになう人たちの接触による場合と、直接的な人間の接触なしに伝播によって異文化が接触する場合とあるが、前述の文化変容をおこすような、異なる文化をになう複数集団の長期にわたる接触のことを指すことが多い。
文化摩擦
異なる文化が接触すると、人々はそれぞれ自分の文化の規準で相手を推し測るため、互いに誤解や摩擦を生むことが多く、そのような摩擦や損藤を文化摩擦という。国際間における貿易摩擦においても、このような文化摩擦が関連していることが多い。
文化領域
住民が、同系統の言語、生態学的条件(自然環境)、経済、宗教などの多くを共有する場合、その地域のことをいう。現在地球上の基本的な文化領域としては、ヨーロッパ、中近東、アフリカ、北アジア、南アジア、オセアニア、北アメリカ、南アメリカが挙げられる。
開拓者精神?
フロンティア・スピリット
−> 先住民の抑圧・滅亡
アメリカの開拓者
北海道の開拓者
アイヌ民族
東アジアの少数民族で、現代ではおもに日本の北海道に居住している。アイヌとはアイヌ語で「人」を意味する。19世紀まで日本の歴史上では蝦夷とよばれ、アイヌという名称が定着する以前には、アイノといわれたこともある。また、アイヌ語で同胞を意味するウタリという名称をつかうこともある。
かつては、ロシアのサハリン(樺太)やクリル諸島(千島列島)にも居住し、それぞれことなる文化をもっていた。しかし、サハリンアイヌは第2次世界大戦後北海道に移住し、クリルアイヌも樺太・千島交換条約により強制的に移住させられたため、現在ロシア国籍のアイヌは1〜2人しか確認されていない。
日本国内にすむアイヌは、北海道に約2万4000人、首都圏に4000人ほどという統計がある。サハリンアイヌの文化は若いころの記憶を保持しているわずかの人に伝承されているが、同化政策の弊害により人口を激減させたクリルアイヌの文化を継承している人はいない。北海道にすんでいたアイヌも、本州以南から移住してきたいわゆる和人とはことなる文化や言語をもつが、現在では日常的には一般的な日本人とかわらない生活をしている。
アイヌ語とユーカラ
アイヌ語は、いくつかの単語をのぞくといまでは日常会話としては使用されず、流暢(りゅうちょう)に話せる人もほとんどのこっていない。しかし、口承文芸や神への祈り詞(いのりことば)、古式舞踊にともなう歌謡などは、伝統的な儀式や民族文化復興の催物などでアイヌ語でかたられ、うたわれている。また、会話は公的には道内14カ所で開かれているアイヌ語教室でおしえられ、ラジオ放送などでも復興や普及がはかられている。
和人との歴史的関係において、アイヌ民族独自の文化の継承は困難をきわめ、アイヌ自身が自文化の近代的変容の方向を決定することができなかった。政府は長い間日本国内における少数民族としてのアイヌの存在をみとめなかったが、1997年(平成9)7月1日アイヌ新法が施行され、アイヌ民族の歴史は新たな段階に入った。
文化相対主義
とくに古典的な文化進化主義への批判の一つとしておこったもので、どんな文化もそれぞれ独自の発展をとげてきたものであり、このような文化に対して特定の立場(たとえばヨーロッパ文化)から他文化の〈優劣〉を決めることは正しくないと主張する考え方である。現代の文化(社会)人類学者の多くはこの立場を支持する。これと対照的な見方は、自分の所属する民族の観点から他の民族の価値観、文化一般のことをとらえる自民族中心主義
ethnocentrism である。
文化の普遍性と特殊性
文化の普遍性と特殊性という対照的な極限概念は、車の両輪のような不可分離の関係をもっているし、また、文化を理解し分析するうえでつねに意識され追求されているにもかかわらず、十分には使いこなされておらず、期待しているほどの成果があげられていない。文化論がこの方向に向け、いっそうの努力を傾けなければ、自らの個別文化によって条件づけられている現実存在としての個々の人間が、人類的広がりのなかに展開している無数の異文化を理解して、真の相互理解に達することはむずかしい。
おわり
学んだことをレポートに!また来週!!!