岡部ゼミ
<Proflile>

92年から02年までイギリスのカーディフという町で11年間過ごしました。カーディフは人口30万弱の小さい町ですが、ウェールズ州の首都です。

カーディフ大学の博士課程に入るとき、最初は寮生活をしました。住居を確保するため、学生寮を管理するマネジャーに部屋が必要な旨の手紙を日本から書きました。いざ寮に着いてみると、敷地内の他の建物はそうでもないのですが、その建物は女性ばかりでした。

手紙の文体が女性ぽかったから女性だと思ったと言われました。部屋を変えてくれと言ったのですが、空きはないとのことです。かつ、前払いした6か月分の寮費の返金はできないとのことでした。それで、半年間18歳の1年生のイギリス人の女の子5名と一緒に生活することになりました。こちらも驚きですが、向こうも日本人の女の子が来ると言われていたのに、現れたのが私だから相当驚いたと思います。でも、結構フレンドリーでした。

各部屋にはベッド、机、簡易なシャワーとトイレがありますが、キッチンとダイニイングは共有です。朝食事をしているとは、ときに朝急いでいるせいか、彼女達がかなりきわどい格好で部屋からキッチンに出てきます。「Oh, Sorry」とか言って、冷蔵庫から牛乳を出していっきに飲んで部屋に戻って行きます。うれしいような、馬鹿にされているような気分です。ある日「俺の性別忘れている?」と言ったところ「You are outnumbered」と言われました。少数派という意味ですが、言わんとしていることは、あなたの置かれている立場を考えると、余計なこと言わないで私たちと仲良くしていたほうが得よということです。1回だけですが、週末には彼女達と大学の寮の敷地内にあるパブに飲みに行きました。1回で終わったのは、エリック・カントナー(マンチェスター・ユナイテッドのプロのサッカー選手)の足セクシーだと思わないというレベルの会話についていけなかったからです。

在籍したカーディフ・ビジネス・スクールは、5年ごとに行われるRAE(Research Assessment Exercise、国の行う大学評価)で、ケンブリィジ大学に次いで第4に位置付けられています。そこでの博士課程での教育方法につてお話します。それは、イギリスの伝統的な方式「sink or swim(泳ぐか溺れるか)」です。この考え方の基にあるのは、自分で道を切り開いていける真の優れた者のみ育てるとう考え方です。アメリカのトップ大学も同じだと聞きました。例えば、世界中から優秀な頭脳を集めるハーバード大学の博士号取得率は18%です。カーディフ大学は、たぶん40%弱じゃないかと思います。但し、外国人の場合は、自分の周りで消えていった学生を見ると10%ぐらいだと思います。

さて、博士課程の内容ですが、最初の1年は毎週合計すると1,000ページぐらいあるReading List(読むべき論文・書籍一覧表)を渡されます。それらを読んでその考え方を評価したレポートを毎週提出することを求められます。一度指導教官に量が多すぎると言ったことがありましたが、返事はバーイでした。つまり、もう来なくていい。日本に帰れという意味です。でも、読んだものの内容は面白いものばかりで、さすがによく吟味して選択されていると感じました。

2年目は、もっと厳しくなります。大学が交通費、宿泊費(ほとんど大学の寮みたいなところでしたが)、参加費を出してくれて、毎月Conference(会議というより、学会やセミナーみたいな感じです)に放り込まれます。放り込まれるは変な表現ですが、まさにこのような感じです。会議の参加メンバーは20名から30名ぐらいですが、1名(自分)を除いて、修士課程のとき勉強した教科書の著者とか、著名な学術誌のEditor(編集長)とかワールドクラスの学者ばっかりです。アメリカの学者もいました。そこで対等に議論してこいというめちゃくちゃな要求です。昼食時も4人ぐらいでテーブルを囲むのですが、話されていることがまったく分からず、いつこっちにふられるかという緊張で何を食べているのか全く味がしませんでした。同じカーディフ大学から、カーディフ・ビジネス・スクールのVice Director( 副学長)が来ていたのですが、彼から「黙っていてはConferenceに何の貢献もしていない。カーディフ大学が費用を負担してカーディフ大学代表としてConferenceに送り込んだ意図を考えろ。」と言われました。学生だから、日本人だからという配慮も手加減もありません。ここにいる限り一人の学者として自分の能力と知力で勝負するしかないという覚悟が求められます。

3年目は、実地調査をしました。具体的には、調査対象の企業を訪問してアンケート調査の協力を依頼することです。日本人の一学生が企業のトップに手紙を書いて調査協力の依頼をするわけでが、大抵返事はきません。そこで、電話をかけてアポを取って、企業のトップに直接会いに行きます。理由は分かりませんが、予想より遥かに協力的でした。調査対象企業は、イギリスの企業だけでなく、日系、アメリカ系、フランス系企業も含まれています。色々な企業を訪問すると、国籍により特徴があることが分かります。イギリス系企業は、全体的に無秩序、誰がこの問題の責任者か明確ではないことが多々あり、大まかに運営されているという感じです。これでは品質の保持は難しいかなと思いました。事実、もうなくなりましたがミニやレンジローバーという車を製造していたローバーという会社から、ディジーゼルエンジンを買っていたホンダUKは、欠陥率50%と言っていました。日系の企業は、かなり規律をきかせて従業員を抑えている感じで、細かいことにもこだわりを持って運営されていました。そこで働くことが幸せかどうかは分かりませんが、品質管理は厳格です。

4年目以降は、データ分析と書く作業です。研究室と図書館の往復です。孤独な作業で精神力が試されます。データ分析は、当初予想していたような結果が出てこず、色々な統計手法を使いました。博士論文はオリジナルな考えが求められます。何千ページ読んでも何のアイディアも出てきません。指導教官から「君の能力では博士号は無理だから帰れ」と言われたこともありましたが、常に自分を強く信じ、また周りの多くの人たちに助けられました。全く義務はないのに丁寧に博士論文を読んで有益なコメントを多数くれた教授、英語をすべて直してくれた同僚、統計の手伝いをしてくれた同僚、彼らに精神的にも支えら苦戦しながらもなんとか終えることができました。カーディフでの生活は、自分の人生観にとても大きな影響を与えています。