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Mr. Shimada's Essays

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Last revised on November 4, 2000


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「僕は褒め上手?」

島田啓一

 昨年の八月末に帰国するまで、オレゴン州立大学で一年間の客員研究員生活を経験した。一家四人の短期移住で、中学二年生だった息子と小学六年生だった娘は現地の公立のミドル・スクールに通学した。子供たちにアメリカの公教育を受けさせて、最も印象に残ったのは、先生たちが極めて褒め上手ということだった。

 スクール・カンファレンスと呼ばれる全教科の担当教師と親の面談の会が毎学期にあるのだが、日本では褒められることがあまりなかった息子や娘を(親が赤面するくらい)盛んにほめてくれる。日本で数学嫌いだった息子は、非常に知的で、礼儀正しく、心優しい代数の天才であり、娘は驚異的な女の子(an amazing girl)で、いつもがんばり屋さん、みんなから尊敬されており、まだあまり話せないのに書く英語はとてもいい(実は父親が手伝った)、といった具合だ。

 誰の子供の話だろうと思わず妻と顔を見合わせてしまう程の褒め言葉の洪水である。日本だと褒められても、欠点とか努力すべき点などを同時に必ず指摘されるのだが、それが一切ない。褒めることで自信をつけさせ、悪い点には目をつぶって、良い点を大きく伸ばしていく教育方針なのだろう。

 文化的な違いもあり、一概にアメリカ方式の方が優れているとは言えないが、英語もできないのに息子と娘は日本よりずっといい成績をもらいすっかり自信をつけたようだ。僕も獨協の学生をもっと褒めておくべきだったと後悔し、再度教壇に立ったら、学生を褒めることにしようと決心して帰国した。

 ところが意外に褒めることは難しい。長年の習性で学生の欠点に目がいってしまい、いいところは当たり前とつい見過ごして褒めるタイミングをはずしてしまう。さっぱり学生を褒めないまま(入院騒ぎもあったが)一年が過ぎてしまった。

 今年、四百人以上受講者がいる講義を初めて担当した。大人数の上、新カリキュラムの科目でもあり、試行錯誤の連続で、四苦八苦していたとき、授業終了後質問に来た女子学生が、支離滅裂な僕の講義に見かねていたのだろう、立ち去る前に「先生の授業を毎週楽しみにしています。がんばって下さい」と励ましてくれた。さりげなく言ってくれた彼女の褒め言葉にとても勇気づけられた。

 そう言えば、ゼミの学生たちの雑談を盗み聞きしていると結構お互いをさりげなく褒めあっている。どうやら、学生諸君の方が僕より褒め上手のようだ。


『獨協大学ニュース』1994年10月1日(第239号)掲載(原稿)


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Think in English-For What?

英語学科長 島田啓一

高校生の頃、A. S. Hornbyの英英辞典(Idiomatic and Syntactic English Dictionary)を使い始めた。初版は1942年で大変古いものだが、後の学習辞典では常識となったVerb Patternを初めて導入した画期的な初心者向きの辞書であったらしい。僕が高校生の時に購入したものは1964年印刷の第68版であったが、古臭さを感じることは全くなかった。この辞書を使うことにより、僕は英語を日本語に訳してから意味を考えるのではなく、意味を考えてから訳すことを、また上手く訳せなくても英文の意味は理解できることを学んだ。

高校生の息子にこの辞書を貸し与えたが、昨年末に高校の英語教師が息子の机の上にあったこの辞書を取り上げて、表紙の裏に書いてあった僕のメモを発見し、「父親は勉強したなあ」と息子にイヤミを言ったらしい。そのメモのことは、僕もすっかり忘れており、息子も気づかなかったのだが、英語で次のように書かれていた。 1. Listen to good live English. 2. Imitate it. 3. Memorize whole sentences. 4. Memorize whole stories. 5. Think in English. 6. Talk to yourself in English. 7. Speak in English in Public. 8. Write in English without thinking in Japanese. *Read many books in English. 9. Do the above for at least four years.

いつこのメモを書いたのか、今では覚えていない。息子には高校生のときだと見栄を張ったが、大学に入学してからかも知れない。また息子には言わなかったが、8と9の間に*のRead many books in English.が追加されて書かれていることから、*以外の9項目は僕のオリジナルではなく、多分、当時NHKのラジオ英会話の講師だった松本亨先生の著書から引用したものであろう。英語を使えるようになりたいと思っていた僕は、彼のThink in Englishという本にいたく感動し、上記の10項目を4年間は無理だったが、少なくも大学に入学して1年半位は必死に実践した記憶がある。ラジオではFENをいつもつけておき、ラジオ英会話のテキストなどを毎日暗記したり、英語の授業は完璧に予習復習をし、一般教養(学部共通科目)の授業は英語でノートをとった。英語サークルに入り部員同士とは英語を使い、歩いているときは直前の友人との日本語の会話を英語で再現したり、NOVAのお兄さんのように目に映るものを英語で説明したり、といった具合だった。

しかし、1年半で壁に突き当たってしまった。今から考えると、英語を目的にしてしまい、英語を使って何をしたいのか、という視点に欠けていたためだった。晴れて英語学科に入学した新入生諸君には、英語はコミュニケーションや学問の手段であり、目的ではないことを銘記してもらいたい。英語を使えば、どのようなことができるのかを本学で学び、目標を見つけてもらいたい。かって挫折した僕の経験で言えば、その目標達成のために英語を使っていくのが英語を修得する一番の近道でもある。新入生諸君の健闘を祈る。

最後になってしまいましたが、この心のこもった冊子を作成し、この拙いメッセージを書く機会を与えてくれた、新入生諸君の先輩でもある編集スタッフに感謝いたします。


英語学科97年度新入生用『Campus Page 97』掲載(原稿)


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「マラマッドの死」

島田啓一

 マラマッドが死んだ、と妻が三月二十日早朝、勤め先から電話してくれた。このユダヤ系アメリカ人作家の小説を最初に読んだのは大学三年の時だった。『アシスタント』という長編で、暗い、不器用な作品といった程度の印象で、感銘もしなかった。ただ、それまで読んだアメリカ小説とは異質な要素があると漠然と感じ、主人公、フランクの生き方が妙に心に引掛かったのを覚えている。フランクは向上心もあり、地道な努力もある程度できるのだが長続きしない。というより、すべきでないことを自覚しているくせに自分からドジなことをしてしまい、それまでの努力を台無しにすることを繰り返す。その反面、楽観的に図々しく調子よく生きている。どうやら、ぼく自身の意志の弱さ、無能さ、そしてそれがもたらす一種の後ろめたさをフランクに投影していたようだ。その後マラマッドの作品を彼の芸術に惹かれてというより、彼が描く登場人物への関心から読み始めた。

 大学院で修士論文を書く段になり、勉強不足がたたって、いわば趣味で読んでいたマラマッドをテーマにする羽目になった。(今もって彼は、ぼくのテーマである!)彼の作品の多くに登場するフランク的人物像とシュレミールの類似性をそのとき知った。シュレミールとは東欧系ユダヤ人の共通語、イディッシュで「ドジな男」の意で民話や小話によく登場する。彼にはシュリマゼルと呼ばれる「ついていない男」の意の兄弟分もいる。両者の定義は、「シュレミールがシュリマゼルにスープをこぼす」というイディッシュの諺で分かる。つまり前者は自分でスープをこぼす不幸を招くが、後者は自分とは関係ない外の力によりスープをひっかけられる不幸を体験するのだ。この関係を次の小話はもっと微妙に表現している。

 「シュリマゼルがバターを塗ったパンをうっかり床に落とすといつもバターを塗った面が下になる。シュレミールの場合も全く同じ、ただし彼はバターを両面に塗るのだが・・・」

 大学の同僚やゼミの学生を観察していると、現代日本にもこのシュレミールやシュリマゼルが意外に多いように思えてくる。ぼくなどは、その最たるものだろう。今、いじめが社会問題になっているが、これはシュレミールたちを集団が排除しようとする(その裏には自分がシュレミールになることへの恐怖心がある)現象とも見える。そこで、ぼくの同志への提案だが、いっそうのこと、シュレミール宣言をしてみたらどうだろう。自分がドジで、ついていないことを宣言し、居直ってしまうのだ。

 元来、シュレミールは東欧の貧しいユダヤ人たちが理想(選民思想)と現実(貧困と迫害)の落差に苦悩し、過酷な状況の中で自分たちの正気と信仰を保つため、自分自身を笑い飛ばすユダヤ的ユーモアを発達させてきた過程で生まれた。神は自分たちを選んだのに迫害されるままにしておく。そんな神を正気で信じられるのはシュレミール的人間に違いないと自分を笑い飛ばす。そして、「もし神様がユダヤ人ではなく、他の民を選んで下さったなら有り難いのに・・・」というジョークを作ってしまう。このしたたかさを同志諸君、身につけようではないか。

 マラマッドに話を戻す。実は一昨年の夏、大学の好意で三ヶ月間アメリカにマラマッドに関する文献を集めに行く機会が与えられ、その際、彼に会おうと思った。面会を申し込む手紙を書きながら、なぜ会うのか、研究者としてか、ファンとしてか、ぼくなりに作品その他を読んで出来ている彼のイメージと本人があまりに違っていたら・・・等と考えていたら手紙が書けなくなってしまった。ニューヨーク最後の晩、無性に彼に会いたくなり、数日前コロンビア大学の手書き文献図書館で発見した彼の葉書に書いてあったウエストサイドの住所に行った。ベニントン(彼が教えていた大学)の方に行っていると管理人に告げられる。フランクがヘレンの許しを請おうと窓の下に立ちつくしたように、ぼくもそのマンションの下にしばらく立っていた。今度来たときは必ず会おうと決心しながら・・・

 妻からの電話を切った後、これでよかったのかも知れない、とノートに書く。作品は作家ではなくテキストなのだから。

 これでも、ぼくのシュレミールぶりに納得できない向きに後日談をひとつ。マラマッドのような頂点を過ぎた作家を研究している人間はもういないだろうとタカをくくって、アメリカの図書館で三ヶ月間、彼に関する文献を片っ端からコピーしまくった。注釈付き文献目録を作ろうと思ったのだ。昨年それが完成し出版された。ぼくではなく、コロラド大のある先生の手によってである。

 所詮、学者とはパンの両面にバターを塗る人、と言ったら言い過ぎだろうか?

 母と同年に生まれたマラマッドの冥福を祈る。


『獨協大学ニュース』1986年6月27日(第170号)掲載(原稿一部修正)



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