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様々な場面で活躍する在校生

ドイツ語学科には、学業やそれ以外、ドイツ語圏に関わる・関わらない関係なく様々な場面で多くの学生が活躍しています。下記では、そうした在校生の活躍をご紹介します。
2017年更新

"Spiegelei"(「上級ドイツ語ライティングa」参加学生作成)


SPIEGELEI. Eine Zeitschrift von StudentInnen für StudentInnen. Nr. 1(Sommersemester 2017)
Herausgegeben von den TeilnehmerInnen des Kurses「上級ドイツ語ライティングa」

0001 雑誌はこちらからご覧になれます。


 2017年度春学期に開講された「上級ドイツ語ライティングa」の授業(担当:David 藤沢先生)の学生たちが、オリジナルの雑誌を作成しました。
 タイトルは「Spiegelei」、「目玉焼き」です。ドイツで最多の発行部数を誇る週刊誌『Der Spiegel(デア・シュピーゲル)』へのオマージュでしょうか?

 内容としては、「Mein Lieblingsort(私のお気に入りの場所)」、「Kommentar(コメント)」、「Aktuelles(ニュース)」という見出しで各執筆者による記事が掲載されています。他にも、「Erfindungen(発明)」というテーマで我々の日常の中での様々な発明に関する記事が掲載されています。写真やイラストもふんだんに使われていたり、なかには遊び心満載な工夫も盛り込まれた、非常にボリュームたっぷりな一冊です。全てドイツ語ですが、読みやすいように記事ごとに注も添えられています。

 作成を担当してくれたのは、以下の学生たちです。(50音順)
 ・馬橋 舞さん
 ・小野 かんなさん
 ・佐田 奈津実さん
 ・白石 明日香さん
 ・高杉 蛍都さん
 ・高藤 真幸さん
 ・土濃塚 慧さん
 ・苫米地 春奈さん
 ・宮田 瑶さん

 

木下 大斗さん(ドイツ語学科2年)


 木下 大斗さん(ドイツ語学科2年)

 今年の夏休み期間中にドイツ・ドルトムントでのインターンシップ研修に参加された木下さんは、滞在中に日々の体験をドイツ語で綴っていたそうです。
 この度、その日記を公開していただけるということで、本学科ブログで紹介させていただきました。

 木下さんが滞在中にどんな体験をされたのか、直にドイツ語から感じ取ってみて下さい。

 
Internship-Programm in Dortmund 2017: Tagebuch von Masato Kinoshita
2015年9月更新

乾 凱雄さん(ドイツ語学科3年生)


乾 凱雄さん(ドイツ語学科3年生)

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Profile

高校からドイツ語をはじめ、より専門的に学んでみたいという思いから、大学でドイツ語を専攻する。幼いころからサッカー好きで、現在はそれを発展させる形でゼミではスポーツ文化政策について学んでいる。勉強以外のことにも力を入れており、全国高校生ドイツ語スピーチコンテストではスタッフのリーダーを務める。また、フットサルの指導者をする傍ら、選手としても活躍。

岡村:出身、入試形態も含めて、自己紹介をお願いします。
乾:出身は獨協埼玉高校です。獨協埼玉高校には獨協クラスというクラスがあり、そこで卒論を書き、併設校推薦で獨協大学に入学しました。
(注:獨協埼玉高校の獨協クラスの詳細に関しては
こちらをご覧ください。)

岡村:ドイツ語を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
乾:ドイツ語は高校から始めました。ドイツ語を始めたきっかけは、2002年のサッカーワールドカップです。小学生のころからフットサルをやっていて、フットサル用語をとおしてポルトガル語になじんでいたため、英語以外にも外国語があることは意識にあったのですが、ドイツとブラジルの決勝戦でのインタビューでドイツ語が聞こえてきて、「こんな外国語があるんだ」と思ったんです。高校に入ってドイツ語を勉強できると聞いたときに、そのことを思い出し、ドイツ語の授業を取りました。もともと英語が苦手だったのですが、外国語を話すのには興味があり、ゼロから始めるのならば何とかなるのではないかと考えました。
大学に入ってからはもっと重点的にドイツ語の勉強を始めようと考えていました。高校で学んでドイツ語がおもしろいと感じたのと海外の人とコミュニケーションをとるのが好きだったのが理由です。たとえば、旅行に行ったときに言葉が通じれば楽しいだろうから、せっかくやるならしゃべれるようになってみたい、もっと専門的にやってみたいと思うようになりました。
それ以外にも、ドイツという国自体に興味があったというのもあります。サッカーや車などドイツ関連のものが好きでした。だから、「ドイツってすごい国なんだ」って思っていたのも理由のひとつです。

岡村:今までの学生生活の思い出、留学について教えてください。
乾:高校のときは、やらなければいけないからやる、という感じでしたが、大学では自分がやりたいことを自由に学ぶことができます。獨協大学では他の学部の授業や他の外国語が履修できるなど授業も好きに選べるので、興味を持ったら授業に参加するようにしています。
ドイツ語の勉強には苦労しました。もともとあまり勉強は得意でなかったし、高校ではコミュニケーション中心に勉強してきて、かつ個人的にも会話が好きだったので、文法をあまり勉強していませんでした。ですが、1年生の基礎ドイツ語のクラスで金井先生が丁寧にわかるまで教えてくれたおかげで、2、3年になってもついていけています。
また、ドイツ語の勉強に関してはクラスメイトに救われた部分もあります。特別未習のクラスの他のクラスメイトはもう基礎ができていたので、とにかくついていかなきゃ、周りもやっているから自分はその倍はやらなくては、という気持ちで頑張りました。そして、自分ができなくても、みんなが文句を言わずに合わせてくれて、本当に助かりました。いまだに当時のクラスメイトには頭が上がりません。
3年生になり、ゼミは秋野先生の「ドイツ語圏のメディア文化政策/対外文化政策」ゼミに所属して、スポーツ文化の普及・振興について勉強しています。個人テーマとしては「プロスポーツクラブを総合型地域スポーツクラブ化し、スポーツ振興することは可能か」というようなことを研究したいと思っています。高校の時の卒論では「日本とドイツのサッカー環境の違い」について書きました。当時は、日本は部活等の年齢の枠組みに囚われてスポーツをしているのに対し、ドイツはその枠組みがゆるく、さまざまな種目を楽しむことができるし、小さい子から高齢者までスポーツを楽しめる環境があり、そうした環境があるからこそドイツはサッカーが強い、という結論に至りました。そして今は、この高校での卒論を発展させて、ドイツはその環境をどう作っているのか、また日本はどうすればいいのか、ということに関して調べたいと思っています。ドイツには地域の人たちが集まる総合型地域スポーツクラブがあるのですが、それをプロスポーツクラブに還元することはできるか、ということについて研究していくつもりです。
また、2年生のときから高校生ドイツ語スピーチコンテストのお手伝いをしています。1年生のときのクラスメイトにスピコン経験者が多く、彼らがスピコンで司会をやるというので見学に行きました。そこでクラスメイトや高校生たちが頑張っている姿を見て刺激を受け、何か携わることは出来ないかと考え、スピコン・コーディネーターの秋野先生に猛アピールしてお手伝いをさせていただけることになりました。
中学から獨協に関わっているので、獨協に対して愛着があり、自分のためになると同時に学科のために、という気持ちでやっています。出場者の高校生たちはとても緊張しているのですが、少し声をかけてあげると、安心した表情を見せてくれたり、笑ってくれたりします。ちょっとしたことなのですが、それで獨協っていいなと思ってもらい、獨協に入学して一緒にスピコンを作っていけたら嬉しいなと思っています。実際に今年のスピコンスタッフには、去年の出場者の学生もいるので、本当にうれしい限りです。
その際、スピコンスタッフのリーダーも経験しました。スタッフの人数が多いので、意思疎通が難しくなってくるのですが、どうしたらみんながストレスを感じずに活動できるか、大学の名に恥じない行動ができるか、というのを常に意識していました。ただ、どうしても全体に目が行き届かないこともあるので、そこはみんなを信頼するようにしました。実際、積極的にやってくれるスタッフが多いので、言わなくてもわかってくれていることが多く、本当に助けられました。無事にやり遂げることができ、みんなにも本当に感謝しています。

岡村:いま特に力を入れていることは何でしょうか?
乾:勉強とアルバイト、友達との遊びなどうまくバランスをとるためにスケジュール管理をしっかりすることを常に意識しています。予定がない日の空いている時間をどう有効に使うかを考えるように心がけています。たとえば、今日は絶対文法を勉強する、というように決めておいたり、反対に疲れたなと思ったら思い切って気分転換したり、というようにメリハリをつけています。
他にも海外へ行ったりしています。ドイツへは、1年生の夏休みと2年生の春休みの計2回行きました。勉強とアルバイトの両立は大変でしたが、お金はアルバイトで貯めてすべて自費で行きました。本当は、2回目は2年生の夏に行きたかったのですが、金銭的に厳しかったので、行くことができませんでした。2回目はゼミでのテーマを決めるためにスポーツ施設を見て回ることとサッカー観戦が目的で、友達がドイツのサッカーチームに入っていたのでそのチームの試合を見に行ったり、たまたま訪れた小さなクラブの試合を見たりしました。そこで出会った人と話す機会があり、そのときにコミュニケーションに力をいれて学んでいてよかったなと感じました。

岡村:獨協での学びや学生生活は、あなたの「いま」に役立っていますか?
乾:僕の場合、獨協で過ごしてきた3年間は、すべてゼミでの学びにつながっていると感じています。特に「文化」に興味があるので様々な文化関連の授業を受けましたが、所属する秋野先生のゼミでは、テーマを比較的自由に決めることができます。いままで受けてきた授業で学んだことを他のゼミ生がテーマに取り上げて研究していたりしているので、たとえば「多文化共生」というテーマがいきなり出てきても、自分の意見を考える際に役立ちます。ゼミの先輩方は本当にすごい方ばかりなので、ついていけない時もありますが(笑)それでも、いろんなことをやって、その中から必要なものピックアップしてそれらが最終的に自分のものになっているなと感じています。
あとは、スピコンのお手伝いを通して、少し社会のことを勉強できたことです。たとえば、社会人の方と話をしたり、一緒に仕事をしたりすることで、一つのイベントがどう動いていくのか、そのためには何が必要なのか、ということを身をもって体験することができました。アルバイトをのぞけば、学生生活ではそういった社会のことはなかなかわからないので、スピコンは自分にとってとても貴重な経験だったと思います。
獨協大学、特にドイツ語学科は、先生との距離が近いため、多くのことを吸収でき、とても充実していると感じています。

岡村:卒業後の進路や将来の夢について、ドイツ語とのかかわりも含めて教えてください。
乾:教職課程を履修しており、将来的には教員になれればいいなと考えています。初めて教員になりたいと思うようになったのは、小学校のときの先生が親身になって接してくれたことや、友達に勉強を教えたりすることを通して、教えるのっておもしろいと思うようになったのがきっかけです。また、中学、高校在学時は、成績が悪かったにも関わらず、多くの先生が相談に乗ってくださったり、勉強でわからないところを教えてくださり、僕もいつか先生方のような教員になりたい!とますます興味を持ちました。大学に入ってからは秋野先生や金井先生をはじめ、多くの先生方にいろいろなアプローチからご指導をうけ、この経験を伝えていきたいなと考えるようになりたいなと思いました。僕が様々なことを伝えることで語学に興味を持ってくれたり、苦手だった勉強をうまく身に着けてもらえたらいいなと思っています。
 
岡村:後輩へのメッセージをお願いします。
乾:大学生活をどう過ごすかは自分次第だと思います。周りの友達と楽しい時間を過ごすのも、勉強と楽しみをうまく両立させていくのも、はたまた勉強一筋で頑張るのも一つの選択肢です。獨協大学で自分の色を見つけていければいいのではないかと思います。ぜひ学生生活を楽しんでください!

(Interviewer:岡村健介、大学院ドイツ語学専攻)

平田遼一さん(ドイツ語学科4年生)


平田遼一さん(ドイツ語学科4年生)

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Profile
サッカー少年として小中高と過ごす。英語への興味から派生して、トライリンガルに憧れて獨協大学に入学。入学後からドイツ語を勉強し始める。入学時からドイツへの交換留学を希望していた。1年生時は未習クラスドイツ語の勉強をしていたが、2年生の秋学期からは既習クラスに移動した。3年生の春学期からは、大学の交換留学制度を利用しドイツのミュンスターへ1年間留学をした。留学中にドイツ語能力試験のGoethe-Zertifikat C1を取得する。2015年の3月に帰国後、現在はドイツ系の外資企業でインターンシップをしながら、卒論を作成している。

川原:出身、入試形態も含めて、自己紹介をお願いします。
平田:神奈川県出身です。入試は一般入試のA日程を利用しました。

川原:ドイツ語を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
平田:サッカーを長くやっていて、幼少期からヨーロッパに興味がありました。外国語に興味があったので、英語以外の外国語も勉強したいと思っていました。

川原:今までの学生生活の思い出、留学について教えてください。
平田:留学生としてドイツのミュンスターにて一年間滞在していた間に、様々な新鮮な体験をしました。ミュンスターは人口が3万人ほどの小さな街で、街中で友達にばったり会うことがよくありました。また、パーティーなども多く、私もWG(Wohngemeinschaftのこと。ドイツの学生の間で一般的な居住形態で、ルームシェアに似た共同生活をする場所)など学生の集いやすい場所でパーティーをよくしました。留学の初めのほうは、会話のリズム・距離感・冗談の感覚などのコミュニケーション文化の違いで苦労をしました。しかし、WGでの共同生活や異なる価値観の中での生活など、留学はとても有意義な時間でした。また、ヨーロッパの国々を旅行したことも良い思い出です。

川原:いま特に力を入れていることは何でしょうか?
平田:今特に力を入れていることは、長期のインターンシップです。ドイツにいる間に、インターネットを通じて日本国内のドイツ系の外資企業へ応募して、帰国後3月から始めました。学部での専攻内容と大きく異なる分野でのインターンなので、ゼロから教えてもらいながら取り組んでいます。
 加えて、英語の授業で英語でのリサーチペーパーに挑戦しています。また、並行して卒業論文も作成していて、学生としての活動にも力を入れています。

川原:獨協での学びや学生生活は、あなたの「いま」に役立っていますか?
平田:大学での授業を通して、外国語能力だけでなく多様な物事の見方や考え方を学ぶことができたと思います。また、日本とドイツでの大学生としての日常生活を通して「人と話す」ことの重要性を実感しました。

川原:卒業後の進路や将来の夢について、ドイツ語とのかかわりも含めて教えてください。
平田:具体的に決まっているわけではありませんが、卒業後はドイツへ行って働いてみたいと思っています。

川原:後輩へのメッセージをお願いします。
平田:新しいことにチャレンジするようにすれば、充実した学生生活がおくれると思います。    

(Interviewer:川原宏友、大学院ドイツ語学専攻)

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黒沼 仁美さん(ドイツ語学科4年生)


黒沼 仁美さん(ドイツ語学科4年生)

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Profile
小さいころから音楽に囲まれた生活で、中学・高校時代は部活でフルート奏者として活躍。高校生の時に観たミュージカル「エリザベート」をきっかけに、ドイツ語に興味を持つ。大学では、エリザベート初演の地であるウィーンに1年間留学。自分の興味関心をうまく発展させ、「エリザベート」の音楽に関する卒業論文を執筆。

岡村:出身、入試形態も含めて、自己紹介をお願いします。
黒沼:出身は千葉県で、高校は県立成田国際高校の国際科に通っていました。高校では、英語を週5で勉強するほかに、第二外国語として週2で中国語も勉強していました。入試形態は指定校推薦です。高校ではドイツ語の授業はなかったのですが、獨協大学のドイツ語学科へ進学した先輩がいらっしゃったからか、推薦枠がありました。

岡村:ドイツ語を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
黒沼:高校2年生のときに偶然、宝塚の「エリザベート」のミュージカルを見たことがきっかけです。その世界観と音楽にものすごく感動したのを覚えています。その当時は日本語で見ていたのですが、あとで初演はウィーンで行われ、オリジナルの言語はドイツ語だと知り、ぜひドイツ語で理解して、楽しんでみたかったんです。このときから、「将来ドイツ語をやろう!」と思っていました。大学進学の際、大学でドイツ語をみっちりできるところを探していたのですが、両親からの条件は家から通えるところだったので獨協大学を選びました。
また、高校生のときに英語はみっちりやっていたので、大学では違う言語をやってみたいという思いもありました。中国語は、当時所属していた部活の顧問の先生の授業を受けてみたいというのと、興味本位だったので進路としては考えていませんでした。
ドイツ語は大学に入ってからはじめて学びましたが、やってみて最初はわからないことがたくさんありました。でも、新しいことを勉強するのはとても楽しかったです。また、やりたかったことがようやくできるという喜びで毎日楽しんで授業を受けていました。

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画像:エリザベートのイラスト

岡村:今までの学生生活の思い出、留学について教えてください。
黒沼:一番の思い出はやはりウィーン留学です。高校2年のとき、母と獨協大学のオープンキャンパスを訪れて、留学協定校にウィーン大学があることを知ったのですが、そのときに「私はここの大学に留学する」と直感しました。それを目標に逆算して留学に行くまでの計画を立てました。たとえば、応募が3年生の春だったので、2年生の冬にB1の資格を取るという感じです。
実際に留学に行っていたのは、3年生の秋から4年生の夏にかけてです。向こうでは、音楽学や演劇史について学び、刺激的な毎日でした。なによりウィーンは音楽の都で、一流のオペラ、コンサート、ミュージカルなどが立ち見や学割で格安で見られるんです。立ち見だと日本円で500円くらいです。私は週34回劇場に通っていました。そのおかげでリスニング力はついたかもしれません。また、留学していた年はちょうどエリザベート初演から20年のアニバーサリーイヤーで、エリザベートが再演されていたんです。初演の地で、エリザベートをこの目で見ることができて、はじめて見たときは思わず泣いてしまいました。その時期に行かなければ見られなかったわけで、「私は運を持ってるな」って思いました。ウィーンは私にとってまさに夢の街でした。

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写真:エリザベートの公演が行われていたRaimund劇場

現地では先輩からの紹介でWG(注:Wohngemeinschaftルームシェア、ドイツ語圏では大学の寮に住む以外に、ルームシェアをするのが一般的)をしていて、二人のオーストリア人と一緒に生活していました。一人は、日本学専攻の男の子だったので、自宅でタンデムをしたり、一緒に料理をしたりしました。もう一人は、心理学専攻の女の子で日本語はできなかったので、頑張ってドイツ語で会話していました。周りの友達は大学の寮に住んでいたのですが、寮は留学生が多かったみたいです。中にはそうした環境に不満を持っている人もいたようですが、私は最高の環境で生活していたなと日本に帰ってきた今、しみじみ感じています。
もちろん苦労したこともあります。生活面では特にないのですが、1学期目は大学の授業が大変でした。はじめのうちは授業に行ってもちんぷんかんぷんで、90分座っているのが苦痛でした。留学に来る前に、ドイツ語による音楽用語や専門用語は勉強していなかったので、先生の言っていることがわからなかったんです。はじめは、単位を取得して帰国できるのかとても心配でした。授業を録音しておいて帰宅したら同居人に聞いてもらって教えてもらったり、文献を読んだりすることを通して、専門用語が少しずつわかるようになり、そうしたら先生が言っていることもわかるようになりました。2学期目にはProseminarに参加したのですが、発表などもこなし、無事に単位をもらうことができました。

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写真:ルームメイトとの写真

岡村:いま特に力を入れていることは何でしょうか?
黒沼:留学から帰ってきたあとは卒業論文のことしか考えていませんでした。卒論の形で、大好きなエリザベートについてまとめたいという気持ちがあったからです。また、ゼミの単位の関係で卒業が半年伸びるのはわかっていたので、就職活動などもあるにしても卒論を書かないと後悔するという気持ちもありました。
はじめてエリザベートを見たときに音楽がすごくいいなと思ったのですが、もやもやと漠然とした気持ちをうまく言葉にできずにいました。その気持ちをもっとはっきりと言葉するために、分析したいという気持ちから音楽学を学ぼうと思うようになりました。それをそのまま卒論に発展させました。テーマは「ミュージカル《エリザベート》研究」です。たとえば、リプライズ(注:繰り返し)やライトモティーフ(注:指導動機、Wikipedia参照)といった技法が、劇中の様々な場面に散りばめられているのですが、これらを整理し、それがどのような意味を持っているのか、ということを分析しました。
就活と卒論の両立は大変でした。ただ、就活をすでに終えている友達が多かったので逆にいろんな情報をもらうことができました。今までずっと音楽とともに生きてきましたが、最終的にITベンチャー企業に就職することになり、周りの人にはとても驚かれました。卒論も、就活が終わった3月まではしっかりと準備ができなかったのですが、そこから卒論に集中して取り組み、無事に提出することができました。
 
岡村:獨協での学びや学生生活は、あなたの「いま」に役立っていますか?
黒沼:「ドイツ語学科に入ることの意味は、ドイツ的な視点を持つこと」という矢羽々先生の言葉がいまでも印象に残っているのですが、留学前より興味の幅や視野が広がったと感じています。例えば、私たちは日本人的なモノの見方をしますが、でも世界は必ずしもそうではありません。ときには、「なんでオーストリア人はこうなんだ」と思うこともありますが、それは私が日本人の視点からモノを見ているからです。また、逆に日本人がおかしいと思われることだってあります。このように、世界には視点がたくさんあるんだってことがわかり、いろんな視点で物事を考えられるようになったと思います。
実際に、はじめはドイツ語学科の授業でも芸術などにしか興味ありませんでしたが、哲学や文学をかじってみたり、社会問題や文化、歴史……など興味の幅が広がりました。新しいことを知るのがとても楽しくて、自分の知識欲を再認識できました。今後もそうやって興味の幅を広げていきたいと思います。

岡村:卒業後の進路や将来の夢について、ドイツ語とのかかわりも含めて教えてください。
黒沼:就職先は自分の知らない新たなことに挑戦します。業務上、ドイツ語は関係ありませんが、もしかしたら将来使う場面もあるかもしれないと思っています。例えば、就職先の会社は海外展開も視野に入れているので、そうすると将来ドイツ系企業と関わりをもつこともあるかもしれません。そのときに英語で話すよりもドイツ語で話す方が、印象が良いのではないかと思うからです。「いつか絶対使うときがくる」という思いで、ドイツ語の勉強は続けていくつもりです。また、仕事は仕事として、それ以外の趣味の演劇鑑賞や読書ではこれからもドイツ語を使っていきたいと考えています。

岡村:後輩へのメッセージをお願いします。
黒沼:私は獨協を選んで正解だったと思っています。なぜなら、自分の学びたいことを全て学べる環境が整っていたからです。ドイツ語圏に興味を持っている高校生にとって、獨協大学は最高の学びの場になるのではないかと思います。
ただし、最高の場ではあったとしても、それをちゃんと活用しないと意味がありません。大学では先生がすべて与えてくれるわけではありませんが、自分から求めればその分きちんと返ってきます。自分の興味を突き詰めて、受け身にならず積極的にいろんな授業を受けたり、本を読んだり、行動してほしいと思います。
そうすれば、いろんなことに興味を持てる人になれると思います。そして、好きなことは苦にならないし、その人の魅力にもなるはずです。

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Interviewer:岡村健介、大学院ドイツ語学専攻)

活躍する在校生

Glosse über das Studentenleben in Marburg(2010年)


 私は
20094月から20103月まで交換留学生としてドイツにあるマールブルク大学で音楽学とドイツ語学を勉強しました。滞在中に参加したドイツ語講座で「マールブルクでの学生生活」に関する記事を書くという宿題が出ました。ちょうどバスの時刻表が変更された時期だったので、マールブルクでのバス事情をテーマにしました。講座中に自分の作文を読んだところ、参加している学生が笑ってくれたりわりと好評でまた特に先生からは「このままマールブルクの新聞社に投書できそうね」とお褒めの言葉をいただきました。それに励まされOberhessische Presseという地元新聞に投書する決意をしました。記事を送付後数週間経ってからある友人から突然電話がきました。「絵里香、君の書いた記事が新聞に載っているよ」と。それを耳にしたときは半信半疑でしたが、その新聞社に足を運んで尋ねてみると201018日付の新聞の投書欄で見事に自分の記事と大学名、名前を発見!!! そのときには天にも舞い上がる思いでした! この新聞社では自分の記事が新聞に載ると無料で何部かくれます。その一部を講座を担当してくれた先生に渡すと、マールブルクの語学センターにある記録集に保管してくれました。先生や新聞を渡した友達にも「とても面白いね。マールブルクのバス事情を反映して入る。これできっとマールブルクのバス事情も改善されるよ」などと感想をもらいました。今まで日本でも投書をしたことがないのに外国語で挑戦しそれが成功して、本当に嬉しかったです。



〜ドイツのバス停〜

以下、荻原さんが書いた記事です。

Glosse über das Studentenleben in Marburg

Seit dem 13. 12. 2009 hat man in Marburg einen neuen Fahrplan für Busse. Im neuen Fahrplan gibt es aber deutlich viel weniger Busse, obwohl es schon früher vor der Veränderung vom Fahrplan im Bus viele Fahrgäste gab. Dieser kurze Text macht auf die jetztige Situation aufmerksam.

Spannende Reise mit dem Bus durch Marburg!

Ich kuschle gerne im Bus mit anderen! Mein Lieblingshobby! Vor der Eingangstür gibt es eine so lange Schlange, als wäre es vor einem beliebten Fünfsternerestaurant. Pech gehabt! Ich konnte keinen Platz finden. Aber keine Sorge! Ich falle nicht hin, sondern kann einfach stehen bleiben, und zwar sogar ohne Absicht, weil die anderen Fahrgäste meinen Körper festhalten. Wenn der Busfahrer brüllt, weil er die Tür nicht schließen kann, nicht persönlich nehmen! Schuldig ist sein Bus. Der ist ein Mini-Car für Zwerge. Na, trotzdem sagst Du, dass es besser ist als in der Rush hour in Tokyo? Wie sollen wir nur klar kommen, wo es doch jetzt noch weniger Busse gibt?
„Mein lieber Bus, wo bist Du? Du müsstest eigentlich schon da sein! Wir haben ein Rendezvous verabredet!“ Mein lieber Bus ist sehr beliebt und eigentlich sehr nett aber er hat ein kleines Problemchen: er ist etwas launisch! Wir Fahrgäste wissen gar nicht, wann er kommt, obwohl wir immer mit ihm einen Termin für ein Date ausgemacht haben. Meistens kommt er ein paar Minuten nach dem planmäßigen Termin aber wenn er löwenstärken Hunger hat, „Benzin, Benzin!“, oder wenn es mit Hindernissen auf der Straße stressig ist und wenn er sie nicht beseitigen kann, geht ihm sofort alles schief. Er kommt dann spät. Oder manchmal ist er auch etwas ungedudig, so dass er schon vor der auf dem Fahrplan stehenden Uhrzeit abfährt.
Ach, trotzdem sind wir schon zufrieden, solange er kommt! Busse verschwinden manchmal ganz zauberhaft! Wäre mir nicht mitgeteilt worden, dass es einen Busstreik gibt, hätte ich in der Kälte warten müssen. Heißt das, dass ich einfach zu Fuß länger als eine Stunde in der Finsternis gehen soll, um an der Vorlesung teilzunehmen? Genau, selten aber ab und zu fahren wirklich keine Busse!!
Na, das hört sich wirklich sehr angenehm und interessant an, oder!? Ganz genau, es ist nicht anders als abenteuerlich, was nirgendwo sonst zu erfahren ist! Solche Erfahrungen kann man nur mit dem Bus in Marburg sammeln! Viel Spaß im Bus und eine spannende Reise mit dem Bus durch Marburg!



(和訳)

マールブルクの学生生活について

20091213日からマールブルクを走るバスの時刻表が新しくなりました。その新しくなった時刻表ではバスの数が確実に減っています、それまでもすでにバスでは満員だったのに。この記事は現状に目を向けさせます。

マールブルクのバスでわくわくする旅を!

バスでおしくらまんじゅうするのが大好き。私の趣味。乗車口の前には長蛇の列、五つ星レストランみたいにね。あぁ、残念!座席に座れなかった。でも、心配しないで!転んだりなんかしないよ。立っていられる、しかもその気なんかなくても。他の乗客が私を支えてくれるから。「ドアが閉まらない」と運転手が吠えたとしても、気にしないで!問題なのはバスのほう。だって小人用のミニカーみたい。それでも東京のラッシュアワーよりましだと思う?もっとバスが少なくなったら、どうしたらいいのよ?
「私のいとしいバス、どこにいるの?本当はもう来てなきゃいけないのに。だってデートの約束したじゃない!」私のいとしいバスはとっても好かれているし本当はとっても優しいんだけど、ちょっとした問題があるのよね。ちょっと気分屋なの。バスがいつ来るかなんて、私たち乗客は皆目見当もつかない。ちゃんとデートのアポとったのに。だいたいは時刻表よりちょっと遅れてくるの。でも腹ペコだったりすると、「ガソリン、ガソリン!」あとは道中の障害にストレスを感じてそれを片付けられなかったりすると、もう何もかもダメ。バスは遅れて来る。それかたまには時刻表に載ってる時間より先に行っちゃうくらい、せっかちなの。あぁ、でもねまだ来るんならまし。バスはね、たまに魔法にかかったみたいに消えちゃうの! もしバスのストライキがあるって誰も教えてくれなかったら、寒さに凍えながら待たなくちゃいけなかった。まだ夜も明けない真っ暗闇を1時間以上歩いて講義に行けってこと? そうなの、まあよくあることじゃないけどたまにねバスが一台もこないの!ね、本当に快適でおもしろいでしょ? そう、これはまさに冒険!こんなの他じゃどこでも体験できない。こんな体験はマールブルクのバスでしかできないよ。じゃ、バスで楽しんでね。マールブルクのバスでわくわくする旅を!


荻原絵里香 大学院博士前期課程2年

日独スポーツ少年団同時交流にて(2010年)


私は、一昨年と去年(2008/09年)「日独スポーツ少年団同時交流」にドイツ語通訳として参加しました。この同時交流は、毎年7月下旬~8月上旬の約3週間、日本とドイツのスポーツ少年団によって行われる日独交流・青少年育成事業です。スポーツ交流や文化活動を通した交流および青少年スポーツの発展を主な目的として、毎年125名のスポーツ少年団員が日独両国から派遣されて相手国を訪問します。すなわち、交流の主体となる参加者だけでも全員で250名、さらには主催者や団員指導者をはじめとする関係者の方々が加わるため、かなり規模の大きな事業です。

交流プログラムの内容は、まず参加者全員が合同で行う「全体プログラム」と、その後713人のグループに分かれて各地方にて行われる「地方プログラム」から成ります。私は、一昨年ドイツでは全体プログラムから、去年は日本で地方プログラムから参加しました。地方プログラムで担当したのは、ドイツ・バイエルン州と日本・九州(鹿児島・宮崎・大分)でした。通訳の内容は、表敬訪問・歓迎式での挨拶からディスカッション・家族との対話まで多岐に渡るものでした。私は、通訳経験がほぼ皆無に等しかったため、焦ったり困ったりすることも多く、3週間の全プログラムが終了する頃には毎回ヘトヘトでした。とくに地方プログラムでは、713名の派遣団員(1623歳)と1名の派遣団リーダー、そして受け入れ先の関係者全員に対して通訳は1人であるため、想像以上の労力と体力を要しました。

 

一般的に「国が違えば、文化や習慣、考え方も違う」と言うように、この交流ではまさにその違いに驚かされました。たとえば、ドイツ人は食事にはたっぷり時間をとることや、日本の表敬訪問のような公式行事はドイツと比べるとかなり形式的であること、そしてスポーツの楽しみ方の違いなどが挙げられます。去年の地方プログラムで、日本人対ドイツ人で試合をしたことについて、ドイツ派遣団のリーダーが「仲間とスポーツをする時は、自由に楽しむことが大切であって勝ち負けを決める必要はない」と言ったことは印象に残ています。また、市長表敬訪問には制服であるTシャツに統一しようと打ち合わせしたものの、当日にTシャツと短パン・ミニスカート、ビーチサンダルで行こうとしていたことにはびっくりしました。

つまり、悪気のない行動であっても、文化や習慣の違いによっては誤解あるいは手違いが生じる場合があるのです。そこに、通訳の難しさや落とし穴があることに気づかされました。また、通訳業務はただ言葉を訳すだけではなく、文化や考え方の違いをも配慮した言動を常に心得なけなければ勤まらないなぁと思いました。ともあれ、派遣団員と受け入れ家族の方は、交流が深まるにつれて積極的に英語で話をしたり、一緒にスポーツをして楽しんだりして、「通訳の出番はないなぁ」と思うくらい打ち解けあっていました。それは、言葉が通じなくても言葉以外の共通点、つまりスポーツを通して共に楽しむことや相手を理解しようという姿勢さえあれば、本当に素晴らしい交流ができることを示していました。通訳には苦戦しましたが、「通訳さんがいたら本当に助かる」と言われた時は、経験の少ない私でも少しは役に立てたのかなと嬉しく思いました。そして、何よりこの交流の素晴らしさ・大切さを実感したことは、大変貴重でありがたい経験でした。こういった機会を与えて下さった教授をはじめ知人には、この場をお借りして改めて感謝申し上げます。獨協大学を卒業してからも、何らかの形で日独交流に携わっていければと思います。



日独スポーツ少年団同時交流についての
HP(日本体育協会):こちら

獨協大学外国語学部ドイツ語学科4
橋本泰奈

東京国際ユース(U-14)サッカー大会で…(2009年)

 
 
2009429日から55日にかけて開催された東京国際ユース(U-14)サッカー大会にドイツチームのリエゾンとして昨年に引き続き参加した。「リエゾン(Liaison)」とはフランス語で「仲介・つなぎ、橋渡し」等の意を持つ言葉。世界10都市12チームが参加したこの大会では、私を含め計9名のリエゾンが日本と各参加国の架け橋となり怒涛の9日間を参加チームと共に奮戦した。

 

 今回の海外からの参加都市は北京・ベルリン・カイロ・ジャカルタ・モスクワ・ニューサウスウェールズ・パリ・サンパウロ・ソウル。東京からは都選抜チーム・東京ヴェルディジュニアユース・FC東京むさしの三チームが参加した。特に海外からの参加チームは来日から帰国までの9日間で、観光・ウェルカムパーティー・学校訪問・文化体験・Jリーグ観戦・都知事激励会・練習試合と、メインディッシュのサッカー予選グループリーグ及び順位決定トーナメントによる交流試合(4日間で各国が計5試合)をこなす。朝から晩までチームに同行し、通訳のみならずスケジュール管理、各目的地への引率、観光案内等を行い、担当チームが円滑かつ快適にスケジュールをこなしながら日本滞在を楽しめるようにサポートをするのがリエゾンの仕事である。そしてチームの一日のスケジュール終了後は毎晩行われる大会本部との合同会議に参加し、翌日の打ち合わせと意見交換を行い――その後翌日の資料の翻訳、下準備等で睡眠時間は削りに削られ34時間眠ることができればまさに御の字。連日ハードスケジュールの体力勝負、そして日本側と参加国側の板挟みになりながらもへこたれない精神力がリエゾンには要求される。日程が進むにつれ日に日に憔悴していくリエゾンメンバーズの話を聞くと、それぞれの顕著なお国柄がときには日本側の悩みの種となることも少なくはないようである。十カ国揃えば十人十色、そう考えてみると、私が担当したベルリンチームは実にドイツ的で真面目で規則正しく、サポートする側としては助かった面も多々あったように思える。まとまりのあるチーム行動・常に時間厳守(510分前集合)・スケジュール厳守の姿勢は大会本部からも重宝された。しかしその分他人にも厳しく――練習後ホテルに帰るバスが一緒になったパリチームが集合時間に15分遅れてきたときは、ベルリンチームの首脳陣は怒り心頭で、バスの中でも不機嫌な表情を隠さなかった。また、スケジュールに関しては行動開始から終了・後片付けに至るまで分刻みで把握したがり、事あるごとにそれを訊ねてくることが初日の段階で把握できたので、その日の夜から毎晩、翌日の分刻みのスケジュールメモ/ドイツ語版を作り代表者に手渡すと、その都度本当に喜ばれた。それでも追加の予定が入ると「まて、トモ。今から逆算するから」そう言って前後の予定に必要な時間を計算してメモさせる徹底振り。そして他のチームをさらに驚かせたのはベルリンチームの「戦略会議好き」。毎朝朝食後に会議室を押さえて戦略会議。昼間練習や試合の合間も必ず戦略会議。夜、就寝前にも会議室を押さえて戦略会議。しまいにはJリーグの試合観戦のときですらハーフタイムにチームメンバーを集めて前半の試合内容を説明しながら観戦席で簡易戦略会議。若干14歳の選手たちに対する監督の熱いドイツ流サッカー教育に、ドイツ国技の強さの片鱗をみたような気がした。

 

 そして全員が14歳、計16名の選手たちは練習や試合に対しては真摯な姿勢と表情を崩さなかったが、その他の時間は皆屈託無い笑顔で英語やジェスチャーを駆使して同年齢の他国の選手とも積極的に触れ合い、サッカーはもちろんのこと、心の底から異文化交流を楽しんでいたように思う。柴又の和菓子屋さんで体験させていただいた「練りきり作り」では、眼を輝かせながら職人さんの妙技に見入り、互いに競い合いながら可愛らしい練りきりを作っていた。しかし綺麗に出来上がった後は、「食べるのがもったいない」「ドイツに持って帰ってお母さんに見せる」等と言い、美味しいはずの練りきりはすっかり観賞用に。作る途中でつまみ食いをした餡子の独特の甘味は、若い彼らにはまだ不慣れなものだったらしい。

 

交流試合の結果は以下のアドレスで確認ができる。
http://www.sports-tokyo.info/football-u14-2009/index.html

 ベルリンチームは予選試合の対北京戦でエースストライカーの
FWの選手が北京の選手と接触、転倒、救急車も出動し、病院で診てもらった結果、全治三ヶ月の骨折で無念の戦線離脱。主力を欠いたせいもあってか、前回優勝の成績には遠く及ばない結果となってしまったが、最終的に全試合のイエローカードの累計は参加チームの中で一番少なく、クリーンで良い試合内容を残せたことは首脳陣も誇らしげであった。
 帰国日は生憎の雨の中にも関わらず都庁から雨の東京を一望し、秋葉原と表参道を観光した後ドイツ大使館を訪問。その後成田空港からドイツへと飛び立って行った。
 
 「君がいてくれてよかった」―そんな言葉ととびきりの笑顔を残して、彼らは帰っていった。
16人の将来有望な選手たちも、円陣を組んで私のSpitznameを声高らかに叫び、別れを惜しんでくれた。
そしてこんな仕事の別れ際にはいつも思う―彼らの笑顔と思い出のお手伝いができて本当に良かったと。9日間という短い期間の小さな架け橋ではあったが、その経験から得たものは計り知れないほど大きい。
獨協大学で学んだことをこのような形で少しずつ少しずつ社会に還元し、いつか立派なBrückeになることができればと思う。

高坂朋子 大学院博士後期課程3年

インターウニに参加して・・・


 私は去年の春から獨協の大学院でドイツ語を勉強しています。その傍ら、社会人としても仕事に励んでいます。私とドイツ語との出会いは、実は大学を卒業してから数年後のこと。それまではまったくドイツ語とは無縁の世界にいましたが、旅行をきっかけにドイツ語を学びはじめ、ドイツとドイツ語の魅力に取り付かれ現在に至っています。 
 
 そんな私が3月7日から11日までの5日間開催された、春のインターウニゼミナールに参加する機会をいただきました。インターウニとは、全国の大学からドイツ語を学ぶ学生が集まりドイツ語を学ぶために合宿を行うのですが、詳細についてはHPをご覧いただければお分かりいただけると思います。(http://www.interuni.jp/

 今回は様々な大学から集まった100人近い学生と、約20名のスタッフ(講師、ドイツ人研修生など)が、まだ雪の残る獨協大学の新甲子研修所に集まり、4泊5日を共に過ごしました。インターウニでの授業は大学のものとは異なり、それぞれの先生によって工夫されたおもしろい内容となっていますし、ドイツ人研修生も参加しますので、ドイツ語を話す機会もたくさんあります。そして何より、大学や学年の壁を越えていろいろな先生や学生と交流できるいい機会となります。今回、私も普段は会えないような先生の授業が受けられたり、その先生方とドイツに関する事から冗談に至るまでいろいろな話ができたり、さまざまな環境にいる学生の意見を聞くことができました。その結果「私も負けずにもっとドイツ語をがんばろう!」という気持ちで帰ってくることができ、参加してみてよかったなぁと実感しています。なお、獨協大からも何人か先生が参加されますので、普段とは違った先生の姿を目にすることができるかもしれません。

 
獨協の大学院には、特別入試制度や社会人入試制度などがあり、ドイツ語を学びたいという人には門が開けています。社会人と大学院生の二足の草鞋は楽ではありませんし、家族や職場の理解と協力が不可欠です。私もやっと1年目が終わったところで、これから学ばなければならないことが山積みです。それが楽しみでもあり、また怖くもあるのですが、たくさんの人に支えられて好きな事ができているのですから、感謝の気持ちとインターウニで芽生えたやる気を忘れず、今年も励んでいきたいと思っています。

大平葉子(大学院修士2年)

ドイツ語スピーチコンテストで最優秀賞!!(2008年)


非営利株式会社ビック・エス・インターナショナルの主催するドイツ語スピーチコンテストで獨協大学の学生2名が最優秀賞をとりました。
http://www.bigs-i.com/speechcontest.html



北澤郁子(ドイツ語学科3年)


 私がこの大会に出場するきっかけとなったのは、自分が2年生だった時に行われた獨協大学の天野杯です。私はここで頭が真っ白になってしまい、覚えたものもなかなか出てきませんでした。とても悔しかったので、その時、次に出場するときは満足のいくスピーチにしよう、と決心しました。
ビッグ・エス・インターナショナルが主催するスピーチコンテストを知ったのは3年の夏休み前でしたが、開催地が遠いということもあり、はじめは出場は考えませんでした。しかし考えようによっては、この遠い大阪での大会を目指せば、モチベーションも上がり、より本気で練習できるのでは?と考え、エントリーすることにしました。 結果、ヴェルナー先生や伊藤先生のご指導のおかげもあり、無事予選もとおって、2年生のときの目標を果たすことが出来ました。大会ではいろいろな方々に会うことができ、得たものはとても大きかったです。出場者の熱心なスピーチを聞くと、自分はまだまだと改めて気付かされ、ドイツ語学習に対する意欲も高まりました。
最初から最後までたくさんの方々のお世話になり、とても感謝しています。これを機に、さらにドイツ語圏の言語や文化への知識を深めていけたら、と考えています。

甲藤史郎(大学院修士1年)


 20081025日は、私にたいへん栄誉な、そして埼玉と大阪を往復するという、とても中身の濃い一日でした。弁論で私が取り上げたテーマは、自分とドイツ語学習の結び付きについて。タイトルは「Deutschlernen ist mein Leben」としました。
 獨協大学のドイツ語学科を卒業後、今は大学院のドイツ語学専攻に在学しています。ドイツ語との付き合いはかれこれ
5年程。「そんなにドイツ語なんかしてどうするの?」という声が身近な人たちから聞こえてきます。学費を工面してくれている両親の苦言はもっともとして、確かに、多くの人にとって英語以外は就職活動でほとんど強みにもならないおまけなのかも知れません。しかしドイツ語は私に特別で、だからこの言語を中心に、自分の生涯のなかでたくさんのことを実現して行きたいと願っています。何よりも大切なのは、そのために行動すること。弁論でも、概ねこのようなことを話しました。
 また、日頃のドイツ語の頑張りを評価しようとしてくれる人たちも案外少なくありません。それは獨協の先生方だけではなく、私が出場した弁論大会を運営してくださった方々もそうです。せっかく学んだドイツ語を生かしたいとき、または試したいとき、こうしたチャンスがあれば、ぜひそれを利用してください。もちろん気落ちすることもありますが、行動することで、ドイツ語へ対する自分だけの特別が生まれるかも知れません。


サッカーEURO2008に ボランティアとして参加!(2008年)


サッカー
EURO2008 ボランティアとして参加!
(安田ハイディ/独4年)

 4年に1度、ヨーロッパのサッカー チャンピオンを競う大会EURO2008 にボランティアとして参加しました。 勤務地はスイスの首都ベルンで、メディアの方々の手伝いをしました。スタジアム内のメディアセンターで記者席の割り当て、カメラマンのポジション決め、記者会見での手伝い等をしました。前日練習や前日記者会見もあるので、試合日だけでなく前日もスタジアムに入って 働かせてもらいました。これらの日々は私の楽しい宝物として心に残っています。 何しろ信じられない体験をしたのですから!当たり前のようにスタジアムに入って、目前で選手の練習模様を見る。国際大会ならではの想像もできないようなすごい歓声のど真ん中で、ヨーロッパ中の人と一緒にサッカーを楽しむ。とても貴重な経験でした。その中でボランティアの人々と友達になれただけでなく、日本人も含め、たくさんの国々のジャーナリズムと仲良くなれたこともいい経験であり、たくさんの事を学びました。夢のような日々でした。

キャンプとビールとディルンドル(民族衣装)!


 ウィーンから西へ約120キロのところに、人口約6,000人のプルグシュタール市がある。市の中心にはドナウの支流であるエアラウフ川が流れ、周囲にはのどかな田園風景が広がっている。私はこの夏、自然いっぱいのこの町で、慣れないオーストリア訛りのドイツ語と奮闘することになった。

 
 きっかけは埼玉県蕨市の国際交流事業。蕨市は1979年からドイツ・ヘッセン州のリンデン市と友好関係にあり、以来すでに30年、両市の市民交流協会が中心となって相互訪問を続けている。さらに2000年からは、それぞれの姉妹都市や友好都市を交えてのキャンプによる青少年の交流に力を入れている。今年は、そのリンデン市の友好都市であるオーストリアのプルグシュタールが舞台となった。ドイツ語圏への派遣ということで、私は指導者兼通訳として同行することになったのである。

 今回の参加はドイツから2都市3団体、ポーランドから2都市、現地プルグシュタール、さらに日本の蕨市と計4カ国6都市7団体で、人数にして100名ほどがキャンプ場で寝食を共にすることになっていた。事前に知らされていたキャンプのモットーは「ハイキングパラダイス・オーストリア(Wanderbares Österreich)」。もちろん、その期待を裏切らないだけの自然がそこにはあった。

 ただし、期間中その自然を100%満喫できたわけではなかった。激しい雨のためにキャンプ場を引き上げ、寝泊りの場を消防署に移さなければならなかったし、ハイキングも一日は中止となった。それ自体はもちろん残念だったが、大きな建物の中で全員が一緒に寝泊りすることは、コミュニケーションという意味ではかえってよかったかもしれない。子どもたちは、わざわざ別のテントまで行って「あ~そ~ぼ」とする必要はなくなったし、大人たちも寝る直前までビールジョッキを傾けることができた。消防署の中で、いろんな人の行き交いを目にすることもできた。

 実際、町をあげてのバックアップの様子が見て取れた。主催する民間の消防団の人たちの中には、このキャンプのために1週間休暇を取ったという人もいたし、休暇を取らずととも毎日仕事の後に駆けつけてくれた人もいた。市長も何度か顔をだして私たちとビールを飲んでくださったし、女性の副市長は自らお手製のケーキを運んでくれた。ちなみにケーキは常に異なる種類のものが、いつでも食べられるように置いてあった。みんなで声をかけあって順番に焼いてきているらしかった。また、やはり女性の元副市長は、自分の娘が昔着たものだけど、といって民族衣装を持ってきてくださった。周りの「Anziehen! Anziehen!(着て!着て!)」という声に押されて着せていただいたところに、偶然地元紙の記者が居合わせてパシャリ。

 プルグシュタール一家、とでも言いたくなるような和やかな雰囲気がそこにはあった。その一員になるには時間も少なかったし、言葉もビールも足りなかったな、と思う。けれど、たくさんの友人を得、再会を約束した。もちろん、今でもメールのやりとりをしている。


(前田直子 大学院博士後期課程3年)